西新宿の風景とメモリーを語る「西新宿百景」の第5回は、ソフトウェアエンジニアの力武健次氏に、造詣の深い無線やラジオといった観点で西新宿の高層ビル街を振り返ってもらった。
自分にとっての最初の西新宿体験は、1974年と1975年に米国移住と帰国に伴って宿泊した京王プラザホテル(現在の本館)だ。その後すぐにルミネ(現在の新宿ルミネ1)が1976年に開業し、1977年当時小学6年生だった自分は中野にあった塾との行き帰りにルミネを通るのが楽しかった記憶がある。47年後の今でも、西新宿は自分にとってなじみのある街だ。その後、結婚前のデート、転職の時の密談、仕事で燃えつきて退職を決意した時に世話になったホテルのラウンジなど、多くの人生のイベントで西新宿にはお世話になった。
西新宿といえば、超高層ビル。今や東京のどこにでもある超高層ビルだが、西新宿の旧淀橋浄水場跡は1971年に京王プラザホテルが竣工して以来の超高層ビルの名所である。私の渡米中の1974年には新宿住友ビル、KDDビル(現KDDIビル)、新宿三井ビルと建設され、帰国後の1976年には安田火災海上ビル(現損保ジャパン本社)、1978年には新宿野村ビル、そして1979年には新宿センタービルが建った。当時の超高層ビルはどこもきれいでカッコイイというイメージがあった。そして当時の超高層ビルの最上階付近には必ず展望エリアがあり、東京の景色や夜景を楽しむことができた。
自分はアマチュア無線を1976年から45年続けているのだが、現在に至るまで集合住宅住まいで自宅に高く大きなアンテナが建てられない境遇にある。そんな状況を打破するために考えたのが、高層ビルの最上階から運用することであった。V/UHF帯の小型の無線機を持ち込み、最上階の窓際の空調スペースに無線機を設置して、内蔵アンテナで見通し距離の通信を楽しむ。そんなことを時々やっていた。なにしろ地上高が高いので、見通せる距離も数十km以上と長く、家ではできない通信ができたことを覚えている。当時は不審者扱いされることもなく、のんびりした時代だった。
西新宿の超高層ビルの中には、高層階に喫茶店を営業しているビルもあった。1980年代後半には、そんな喫茶店の1つから、世田谷区南部の知人の家のUNIXシステムをアマチュア無線のパケット通信を介してラップトップから使ったこともある。まだケータイもPHSもスマホもモバイルルータもない時代の話である。アマチュア無線なので暗号化は法律で禁止されていて、セキュリティも何もなかったのだが、こちらもそれを承知して運用していたので、問題は起きなかった。おおらかな時代だった。
思えば西新宿の超高層ビルの多くは竣工から40年以上が経過している。最近は老朽化が目立ってきたことは否めない。そして最上階のレストランや展望エリアを閉めてしまいオフィスフロアにするビルが増え、一般人が気軽に展望を楽しむ場所が減ってきている。とても残念なことだ。自分が2010年代後半に片手に入るほどの小型無線機でパケット通信を運用できたのは、新宿京王プラザホテル45階のラウンジAURORAと、新宿野村ビル50階の展望ロビーからだけであった。
コロナ禍ですっかり西新宿の超高層ビルともごぶさたになってしまったけれど、また機会があれば出かけて高いところから東京と関東平野を見渡したいなと思っている。
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