戦国LOVEWalkerでお城&メタ散歩を楽しもう⑨

戦国ムック『戦国LOVEWalker2026』を一部公開。『豊臣兄弟!』にも出てくる前田利家は金沢城と城下町をどう作ったのか

 株式会社角川アスキー総合研究所は、ウォーカームック『戦国LOVEWalker 2026』を2025年12月22日、刊行した。2022年12月に第1弾が出てから、年末の恒例ムックとして、第4弾となる。

 このムックの「戦国メタ散歩」から、「前田利家の視線で巡る、金沢の街づくり」を紹介する。戦国、安土桃山を生き抜いた名将、前田利家が賤ヶ岳の戦いで羽柴(豊臣)秀吉に味方して、加賀国二郡を与えられ、金沢城へと入ったのが天正十一年(1583)。

 しかし、そこは元々は一向一揆の拠点であった寺院。防御力に乏しく、戦国武将の居城とは到底呼べぬ佇まい。利家は、この地を加賀百万石の礎となる堅固な城へと生まれ変わらせようと決意し、石垣の構築や堀の拡張、櫓や門を設置していく。天正十四年(1586)ごろには天守閣が姿を現し、武家の居城へと変貌を遂げた。

 『戦国LOVEWalker 2026』は、2025年1月4日にNHKで放送が始まった大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主役である豊臣秀吉と、その弟・豊臣秀長の生涯を追いかけながら、彼らが築き、あるいは関わった全国の城を徹底的に紹介する「お城旅ガイド」になっているが、大河ドラマでは、前田利家は、大東駿介が演じ、妻のまつは菅井友香が演じる。

 さらに詳しい内容はぜひ、『戦国LOVEWalker 2026』で確認して欲しい。

金沢城二の丸の正門である橋爪門。明治期に焼失して以来134年ぶりに復元された。門を見下ろす物見櫓が橋爪門続櫓。櫓は3重3階で、高さは14.69m。写真/金沢市

 利家の後は、父の遺志を受け継いだ利長が城の拡張を進め、江戸時代初期に近世城郭として完成させる。寛永八年(1631)、金沢城下を大火が襲ったことで、3代藩主・前田利常は板屋兵四郎に「城の水利を改善せよ」と命ずる。防火のためだけではなく、城内への給水確保、水堀による防倒強化、新田開発、すべてを見据えた壮大な計画であった。そして、寛永九年(1632)、辰巳用水ができあがる。

 犀川上流から取水し、約4kmの岩盤を手掘りで貫き、逆サイフォンの原理で百間堀(外堀)を越え、城内二の丸の高台にまで水を場げた。わずか一年足らずでの完成は、江戸時代の最先端技術の結晶だった。

 5代藩主の前田綱紀は、寛文五年(1665)、城の屋根を白く輝く鉛瓦に葺き替える。凍害に強く、戦時には鉄砲の弾にもできるという実用と美を兼ね備えた、前田家の知恵の象徴となった。利家が礎を築き、利長が拡張し、利常が水を制し、網紀が美と機能を加える。金沢城は、前田家の情熱と英知によって加賀百万石の象徴へと昇華したのである。

 金沢城は白い屋根で有名だが、「石垣の博物館」としても知られる。出入口や庭園など場所に応じて特殊な技術やデザインがエ夫され、何度も修築が繰り返されたことから、さまざまな種類の石垣を見ることができる。利家の近世城郭化以降は、2代・利長が拡張、3代・利常が寛永八年(1631)の大火後に縄張りを確定、5代・綱紀が兼六園を造った。

五十間長屋。菱櫓と橋爪門続を結ぶ多聞櫓。2001年に木造復元された。写真/金沢市

鼠多門(ねずみたもん)と鼠多門橋。玉泉院丸に位置する。2020年に復元。写真/金沢市

西外惣構跡(にしそとそうがまえあと)。慶長十五年(1610)、3代藩主・利常が東西の外構を造ったと伝わる。出典/カナザワケンチクサンポVol.1

玉泉院丸庭園。辰巳用水を水源とする池泉回遊式の大名庭園で、池底から石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形が特徴。利常が寛永十一年(1634)に作庭を始めた。2015年に再現。写真/金沢城・兼六園管理事務所

 辰巳用水は全長が約16.5km。寛永八年(1631)の宝船寺大火を契機に、金沢城の水利改善を目的として造られ、翌年完成した。小野台地の地形の特徴を巧みに利用して経路を設計し、上流部では隧道、最下流部では伏越(逆サイフォン)という当時の先端技術を駆使し、一年足らずで工事を完成させた。現在は、辰巳用水遊歩道(約2km)が整備されており、市民に親しまれている。

「金沢くらしの博物館」そばにある辰巳用水(小立野・石引)の碑。写真/金沢市画像オープンデータ

隧道(上辰巳町)。出典/「辰巳用水 附 土清水塩硝蔵跡(平成26年3月発行)」

辰巳用水全景(上辰巳町ほか)。出典/「辰巳用水 附 土清水塩硝蔵跡(平成26年3月発行)」

辰巳用水図解。タンコロ穴(上辰巳町)とは、用水路のトンネル内で作業員の灯明を置くために掘られた穴のこと。トンネル内の照明を確保し、空気の流れで明かりが消えないように設置された、当時としては非常に優れた土木技術。出典/「辰巳用水 附 土清水塩硝蔵跡(平成26年3月発行)」

金沢城の城下町は、武家屋敷・お茶屋街・町屋と堀が調和する美しい空間を400年以上の時を超えて真空パックしている

 金沢城下に寺除が散在し、防御に不安を抱えていた利家は、佐久間盛政が築いた尾山八町を拡張し、百間堀を改修した。商人や職人を呼び寄せ、新しい城下町を築き上げていく。戦乱の世を生き抜いた武将の眼は、繁栄と防御の両立を見据えていた。元和二年(1616)ごろ、3代藩主・利常は大胆な構想を実行に移す。一向一揆の脅威に備え、城下に点在する寺院を「寺町台」「小立野」「卯辰山」の3カ所に集約させた。これらは同時に城を守る軍事防衛の砦でもあった。また、その以前には総延長約9kmに及ぶ二重の惣構を築き、堀で城下を包み込んだ。土塀と石畳の武家屋敷、繊細な出格子の茶屋が連なる、加賀百万石の城下町として結実していった。

 現在の金沢の市街地は、金沢御堂の門前に形成された寺内町を始まりとし、その後に形成された近世城下町を基盤としている。そして、400年以上も戦禍に遭わず、自然災害の大きな被害を受けなかったことから歴史的な街並みが良好に残っている。寛文・延宝期(1661〜1681)にほぼ完成し、その形態は時の城下町絵図で確認ができ、街路網や用水路などが現在の都市景観に反映されている。

ひがし茶屋街。にし茶屋街、主計町茶屋街と共に金沢三茶屋街。金沢で一番大きなお茶屋建築の「懐華樓(かいかろう)」が有名。写真/金沢市

にし茶屋街。文政三年(1820)に加賀藩から公許された花街「西の」があった。写真/金沢市

主計町茶屋街。江戸時代、加賀藩重臣である富田主計の屋敷があったことにちなんだとされる。近くに記念館がある文豪・泉鏡花の作品にも登場する。写真/金沢市

長町武家屋敷跡界隈。土塀や石畳の小路が残り、豪壮な武家屋敷が立ち並ぶ。写真/金沢市

『戦国LOVEWalker2026 ウォーカームック』

発行:株式会社角川アスキー総合研究所
発売:株式会社KADOKAWA
発売日:2025年12月22日
定価:1,760円 (本体1,600円+税)
ISBN:9784049112979
サイズ:A4判/100ページ
詳細・購入はAmazon

【目次】 千田嘉博先生インタビュー:「武将たちがあこがれた城」
特集:秀吉・秀長の城(長浜城、姫路城、郡山城、聚楽第、名護屋城など)
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特別企画:有馬温泉
大河ドラマ特集(主演インタビュー、ドラマ紹介、仲野太賀さんインタビュー)
戦国メタ散歩:金沢城、三方原の戦い、河越城の戦いなど

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