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【連載】西新宿のお宝! 十二社熊野神社の文化財をご紹介

2021年03月19日 18時00分更新

 1970(昭和45)年4月1日の町名変更により西新宿となったこの一帯は、江戸時代には角筈村(つのはずむら)という江戸近郊の農村であり、市中から離れた自然豊かな地域でした。

 都庁をはじめとする超高層ビル街となっている新宿新都心地区は、第二次大戦後、新宿副都心計画により淀橋浄水場が移転し、その跡地を再開発してできた街です。

 今や東京有数のオフィス街となった西新宿。しかし現在も、由緒ある社寺や文化財、史跡などが、歴史の礎として残っています。

 今回は、十二社熊野神社と文化財についてお話ししていきましょう。

 前回はこちらをご紹介しました。

「十二社(じゅうにそう)は江戸西郊の景勝地だった!」

※過去の連載記事はこちら:西新宿の今昔物語~新都心歴史さんぽ~

鈴木九郎と熊野神社

 十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州(現・和歌山県)の熊野三山より十二所権現(じゅうにしょごんげん)を遷し祀ったものと伝えられます。

 鈴木家は、紀州藤代(現・和歌山県海南市)で熊野三山の社家をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになったと伝えられます。

 九郎は、この地域を開拓するとともに、自身の産土神(うぶすながみ)である熊野三山より若一王子宮(にゃくいちおうじのみや)を祀りました。その後、鈴木家は家運が上昇し、中野長者と呼ばれ財を成したため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祀ったといわれています。

 江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も行なわれたそうです。享保年間(1716~35)には八代将軍徳川吉宗が鷹狩の際に参拝し、周辺の風致を称えたと伝えられ、それ以後、社や滝もある十二社の風致は、江戸西郊の景勝地として知られるようになりました。

角筈村熊野十二社(『江戸名所図会』より挿絵は長谷川雪旦による)

 明治維新後は、現在の櫛御気野大神(くしみけのおおかみ)、伊邪奈美大神(いざなみのおおかみ)を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。

 かつての角筈村(つのはずむら)の総鎮守であり、現在では西新宿1~5丁目と6丁目の一部、新宿駅周辺の歌舞伎町1丁目一部、新宿3丁目の一部が氏子の範囲となっており、新宿の総鎮守とも称されます。

※熊野神社の創建については、この地域の開拓者で旧角筈村の名主となった渡辺家の與兵衛(よへい)という説もあります。

中野長者 鈴木九郎の墓(中野区 成願寺)

熊野神社の文化財

 熊野神社境内には十二社の歴史を物語る文化財があり、新宿ミニ博物館「十二社熊野神社の文化財」として一部が公開されています。代表的な文化財をご紹介しましょう。

◎「熊野神社の水鉢」(新宿区指定有形文化財)

 文政3年(1820)に奉納された手水鉢で、江戸後期の文人として著名な大田南畝(蜀山人、1749~1823)の書が刻まれています。この年の熊野神社の祭礼には、十二社の大池で角乗り、筏乗りが出るなど盛大だったと伝えられており、この水鉢もその際に奉納されたものと思われます。

熊野神社の水鉢

◎「十二社の碑」(新宿区指定史跡)

 嘉永4年(1851)に建てられた記念碑で、十二社の景観について記し、風致を称えた記念碑です。碑文は中野の宝仙寺の僧侶・負笈道人(ふきゅうどうじん)によるもので、『江戸繁盛記』の作者として知られる儒学者・寺門静軒(てらかどせいけん)(1796~1868)による漢詩も刻まれています。また裏面には、静軒による負笈道人の履歴が刻まれています。書は中川憲齋(1791~1867)、裏面は根岸友山(1810~1890)によるものです。

十二社の碑

◎「七人役者図絵馬」(新宿区指定有形文化財・絵画)

 安永2年(1773)に歌舞伎役者の吾妻富五郎と大谷谷次が奉納した大絵馬で、拝殿内に掲げられています。図柄は、桜の大木の下に七人の歌舞伎役者の扮装姿と十二支の動物が描かれています。江戸中期に優れた役者絵を描いて活躍した浮世絵師・一筆齋文調(いっぴつさいぶんちょう)(生没年不詳)の作品です。

※「七人役者図絵馬」は、拝殿の外からの見学になります。

七人役者図絵馬

◎「式三番奉納額」(新宿区指定有形文化財・絵画)

 式三番(しきさんば)の図が描かれている奉納額で、拝殿内に2枚が掲げられています。右側は宝暦14年(1764)に九代目市村羽左衛門(いちむらうざえもん)が、左側は弘化4年(1847)に十二代目市村羽左衛門が奉納したもので、江戸三座のひとつ市村座で顔見世興行や初春興行の際に演じられた式三番を描いたものです。式三番は歌舞伎舞踊のひとつで能の翁(おきな)を舞踊化したものです。

※「式三番奉納額」は、拝殿の外からの見学になります。

式三番奉納額

新宿ミニ博物館「十二社熊野神社の文化財」

 このほか、熊野神社境内には、神輿蔵(みこしぐら)に収められた宮神輿(大神輿)や町神輿、多数の石造品があります。「十二社の碑」の後方には、昭和7年(1932)に淀橋町青年団が建てた昭和天皇の「御大典記念碑」がひっそりと建っています。

御大典記念碑

 これは新宿駅東南口にあったものを再開発により熊野神社に移したものです。境内は新宿ミニ博物館として文化財を見学できるようになっており、十二社と熊野神社の歴史がわかる総合案内板のほか、社務所で案内パンフレットも配布しています。

新宿ミニ博物館総合案内板 

新宿ミニ博物館案内パンフレット

協力・写真提供/新宿区文化観光産業部文化観光課

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