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ラー博にまつわるエトセトラ Vol.39

あの銘店をもう一度“94年組” 第6弾 白丸・赤丸誕生前の原点の味 博多「一風堂1994」

2024年02月06日 12時00分更新

 みなさんこんにちは。2024年の3月に迎える30周年に向けて、これまで実施してきましたさまざまなプロジェクトが、どのように誕生したかというプロセスを、ご紹介していく「ラー博にまつわるエトセトラ」。

 2022年の7月より、過去にご出店いただいた約40店舗の銘店を2年間かけて、3週間のリレー形式で出店していただく「あの銘店をもう一度“銘店シリーズ”」と、2022年11月7日より、1994年のラー博開業時の8店舗(現在出店中の熊本「こむらさき」を除く)が、3ヶ月前後のリレー形式で出店する「あの銘店をもう一度“94年組”」がスタートしました。おかげさまで大変多くのお客様にお越しいただいております。

前回の記事はこちら:
あの銘店をもう一度 第28弾 カナダ発の行列店 カナダ・トロント「RYUS NOODLE BAR」

過去の連載記事はこちら:新横浜ラーメン博物館のウラ話

 あの銘店をもう一度“94年組” 第6弾は、期間中、創業者・河原成美氏が厨房に立ち、白丸・赤丸が誕生する前の原点の味が復活 博多「一風堂1994」さんです。出店期間は2024年2月9日(金)~5月12日(日)の約3ヶ月間です。

 現在国内外に250店舗以上を構える一風堂グループですが、ラーメン博物館に出店した1994年は、博多の大名本店1店舗しかありませんでした。まずは一風堂の歴史からご紹介いたします。

 一風堂の創業は1985年10月16日、創業者の河原成美(かわはらしげみ)氏により福岡市大名に誕生。一風堂が誕生する前、河原氏は博多駅の近くにバー「AFTER THE RAIN」を1979年に開業。

AFTER THE RAIN時代の河原氏

 店は大繁盛していた中、河原氏は「33歳までにもう1店出店し、35歳までに天職を見つける」という目標を定めていました。「繁盛しているから2号店を出せばいいじゃないか」という意見が大半でしたが、河原氏は、「汚い・臭い・怖いというイメージを覆し、女性が1人でも気軽に入れるスタイリッシュなラーメン店を作り、福岡中の女性が集まるようなお店にしよう!」と、約1年間の修業を経て目標としていた33歳の1985年10月16日、「一風堂」を創業。店名の由来は「ラーメン界に一陣の風を吹かせたい!」という想いと、当時好きだったバンドの「一風堂」から名づけたとのことです。

創業店である大名本店

 お店は10坪程度の広さで、女性客が気軽に入れるという今までにないおしゃれなお店だったこともあり、口コミで徐々にお客さんは増え、1年後には1日200人のお客さんが訪れる繁盛店となりました。しかし一風堂は順調に利益を出していたものの、その後ロードサイド型のラーメン店「爽風亭(1988年)」や居酒屋などを展開したものの思うように利益が出ず、資金的にも厳しくなってきたのです。

 そんな中、新横浜ラーメン博物館への出店の話が舞い込んできたのです。

 河原氏曰く「岩岡さんは何度も訪ねてきてくれましたので、その熱意や夢は熱いものを感じました。そのため、乗り気ではなかったですが、現場だけは見ようと新横浜を訪れました。」

 1993年の6月、小雨の降る夕方、駅を降りて建設現場まで歩く中、空き地だらけで人がほとんど歩いておらず「こんな場所にお客さんが来るわけがない!すぐに断ろう」と瞬時に思ったようです。岩岡さんは「月商1,000万は行くと思います」と言ったのですが心の中で「馬鹿言ってんじゃないよ!こんな場所で1,000万も売れるわけがないだろう!」と呆れました。

建設現場を訪れた河原氏

 「帰りに“設立準備室に寄ってください”というのでしぶしぶ立ち寄ったのですが、その扉を開けた瞬間、断るはずだった意思をひっくり返されました。そこには僕が忘れていた熱気がみなぎっており、ある者は電話をかけ、一方では声高に議論をしていて、壁には全国のラーメンの記事が貼られ、“オープンまで150日”、“勝ち抜くぞ!”といった紙が貼られていました。あの光景はあまりにもまぶしく、立地なんて関係ない、このスタッフたちと一緒に働きたいと思ったのです。もし準備室に立ち寄らなかったら今の一風堂はなかったのかもしれません」とのこと。こうして、河原氏はその熱意に賭け、出店を決断したのです。

1994年当時の一風堂ラー博店外観

「そうは言ってもそんなにお客さんが来るとは思っていませんでした。入場料がかかるという点も、岩岡さんに何度も考え直してほしいと懇願しました。」そんな状況だったため河原氏は、一番弟子だけを連れて、現地でアルバイトを募集し、1週間くらいで福岡に帰るつもりだったようです。しかし、オープンすると想定をはるかに超えるお客さんが来たため、結局福岡に帰れたのは半年後でした。」

オープン時の活況

 “94年組”のコンセプトは1994年当時の味を再現するというもので、出店当時は一風堂の代名詞である“白丸”、“赤丸”が誕生する前の味を披露していただきます。

 さらに今年39年目に突入した一風堂ですが、39年をThank youととらえ、これまでの感謝と共に一風堂の歴史の中でエポックメイキングとなったメニューを歴史と共に振り返る“一風堂クロニクル”というテーマを付加し、約3ヶ月の期間の中でさまざまなメニューが復活します。

 白丸・赤丸が誕生する前の原点の味は、100%豚頭のみを使用したクリーミーな豚骨スープ。

 前日から下処理の工程を経て12時間かけて丹念に炊き上げ、臭みがなく、すっきりと飲みやすく、深い味わいになるよう仕込んでいます。かえしには、豚骨のコクと旨みを最大限に引き立てるように、九州産の濃口醬油と薄口醬油を6種類厳選してブレンドし、伝統の博多らしい味わいを創ります。

復活する原点の味

 麺に使用する小麦粉は、福岡県産の小麦「ミナミノカオリ」を100%使用。昔懐かしい印象と、歯切れの良さに軽い食感とのどごしを表現した、小麦の香りを豊かに感じる特製の低加水細麺(番手:26番)です。

 チャーシューは、豚肩ロースの表面を焼き、九州産の醤油でじっくり煮込んだ、伝統の焼豚チャーシュー。醤油で味付けした木耳の食感、風味豊かな青ネギが豚骨スープをより引き立てます。

 「一風堂クロニクル」は、39年間の一風堂の歴史の中でエポックメイキングとなった、今では食べることの出来ない約10種類のメニューが復活するスペシャル企画です。

 今後どのようなメニューが登場するかは、後日SNS等で随時発表していきます。

 さらに、期間中、これまでやったことのないコラボレーション企画も予定しておりますのでお楽しみに!

 そして次回は岩手・久慈から「ラーメンの千草」さんにご出店いただきます。

 出店期間は、2024年3月6日(水)~4月7日(日)となっております。

 今回の出店では三代目が初代の味を再現します。

 お楽しみに!!

新横浜ラーメン博物館公式HP
https://www.raumen.co.jp/

・Twitter:https://twitter.com/ramenmuseum
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文/中野正博

プロフィール
1974年生まれ。海外留学をきっかけに日本の食文化を海外に発信する仕事に就きたいと思い、1998年に新横浜ラーメン博物館に入社。日本の食文化としてのラーメンを世界に広げるべく、将来の夢は五大陸にラーメン博物館を立ち上げること。

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