人が人を呼び、開業から愛され続けて16年! 「丸の内ハウス」の玉田さんに会ってみた
2023年09月12日 12時00分更新
丸の内LOVEWalker総編集長の玉置泰紀が、丸の内エリアのキーパーソンに丸の内という地への思い、今そこで実現しようとしていること、それらを通じて得た貴重なエピソードなどを聞いていく本連載。第7回は新丸ビルの7階にある、大人のための飲食街フロア「丸の内ハウス」の統括マネージャー・玉田泉氏が登場。ここ丸の内で、異色かつ貴重な交流拠点が誕生した経緯と、このフロアの運営に込められたハウスチームの熱い思い、開業以来16年も愛され続けている理由などについて、玉置が迫った。
大人のための交流拠点「丸の内ハウス」誕生の経緯
「丸の内ハウス」は、新丸ビル7階に位置する飲食街フロア。個性的な11のレストランやバーなどがあり、フロア内の店をハシゴしたり、オープンテラスで飲むのも楽しい。木曜や金曜の夜はDJが入り、アートやファッションのイベントも開催する、大人のための社交場だ。
――「丸の内ハウス」のスタートは2007年。フロア全体が大人の交流拠点という、この場が生まれた経緯を
玉田「16年前の丸の内は、ビジネス街としてのイメージが強く、交流拠点としてあまり開発されていませんでした。この界隈はレストランでの食事や、仕事目的で行くところでしたし、丸の内に勤める人たちが、ここで遊ぶこともあまりなかったんです。
その頃の丸の内って、ちょっと特別な場所だったんですよね。『丸の内ハウス』は、そこにひとつ、新しい交流の拠点・プラットフォームでサードプレイスをつくろう、街づくりをここから表していこうという目的で始まりました。
例えば、デベロッパーが『インタラクション(相互交流)がすごく活発な街』と掲げたとしても、それをリアルに実現させるところは、ここのような人々に接する最前線ですよね。だから、このフロアの飲食店オーナーとデベロッパーが手を組んで、三菱地所の街づくりの可視化を『丸の内ハウス』から仕掛けていこうと考えました。
その可視化の象徴として、ここからインタラクションが活発だとか、ナイトタイムエコノミーといったキーワードを発信していったんですよ」
――2007年は、まだナイトタイムエコノミーなんて言われる時代ではなかった
玉田「朝4時まで営業など、それまで丸の内でやっていなかったことを全部やろうとしましたね」
――当時ではあり得ない話
玉田「テラスを開放するなんてことも、あり得なかったです。当時は屋上緑化としてテラスに緑を植えることはあっても、そこには自由に立ち入れませんでした。ましてや、そこで飲み食いするなんて!? と社内でも心配する声が結構上がりましたね」
――そう簡単にはいかなかった
玉田「いろいろな問題がありましたが、オーナーの皆さんと会議をしながら、問題を解決して新しい居場所を作ろうと頑張りましたね。皆さんも街づくりに参画できることが非常にうれしい、と言って下さいましたから」
――オーナーも一緒なのは珍しい
玉田「街づくりから参画できるのであれば、ということで、普段なかなか商業施設ビルには関わらないオーナーさんたちも参画して下さいました。『あの人が丸の内に来たんだ!』というようなメンバーが揃ったんです」
――そういうイレギュラーな要素も入っている街というのは、どういった考え方から?
玉田「今までの丸の内にはなかった、人々も文化も混じり合うような真の交流拠点を作りたいことと、もうひとつ“丸の内の未来”というテーマがあったんです。(アートディレクターの)平林奈緒美さんにデザインしていただいたロゴマークも、強固な丸にちょっとヒビが入っているでしょう。
これはお堅いイメージの丸の内が未来に向かって動き出す、というメッセージも込められているんです。いちフロアにロゴマークがあることもそれまではなかったので、やはり特別なプロジェクトなんですね」
熱い思いを貫き、伝えるために統括マネージャーになった
――玉田さんはスタートから中心になって動かれてきましたが、そのきっかけは?
玉田「プロデューサーは、カフェブームの火付け役で知られる山本宇一さん。私が担当になったのは『丸の内ハウス』への熱い思いをずっと貫いてくれる、守り抜いてくれる人がほしいというのが理由でした。
その時は、『大手町カフェ』という環境をテーマにしたカフェの立ち上げ、今のSDGsを形にしたような事業を任されており、さまざまな困難を乗り越えてやっと、エコプロダクツ大賞のエコサービス部門で環境大臣賞、ディスプレイ産業賞で優秀賞を獲って、軌道に乗ってきたところだったんです。
そこで、これまた『丸の内ハウス』という、とても難しいプロジェクトの怒涛の波に放り込まれた感じでしたね」
――非常に的確な人選
玉田「私は結婚して10年ぐらい、専業主婦で三菱地所を離れていたんですが、『大手町カフェ」という新しいプロジェクトが始まるということで、お声掛けいただいて戻ったんです。そして街づくりの見える化、可視化を『大手町カフェ』でやってきましたが、もう少し幅広くいろんなことを伝えていく場として、河野雅明専務(当時)からお話があり、この丸の内ハウスの統括マネージャーを担っていくことになりました。
テナントのオーナーさんたちも、非常に個性的かつ魅力的でしたので、その人たちとなら何か新しいことができるかもしれない、と考えたんです。まさに、このプロジェクトは地所だけではできないもので、オーナーさんたちや協力者の方と一緒に、チームとなって築けたことが成功の大きな理由だと思います」
――現在では「丸の内ハウス」を手本にしたり、グランフロント大阪の「UMEKITA FLOOR」のようなところも出てきていますが、先駆者としてご苦労も多かったのでは?
玉田「苦労の連続でしたね。このフロアは“街のゲストハウス”であって、ここに来る人々は、単に自分の店のお客様なだけではなく、『丸の内ハウス』というゲストハウス全体のお客様です。けれど、ひとつのゲストハウスとしてチームなんですよ、と伝えても現場の店長さんたちには、なかなかご理解して頂けなくて。
なので、各店のオーナーさんたちから『丸の内ハウス』に対する思いや、この街に必要な店を造っていくことが街づくりなのだ、とお話ししていただきました。そこで現場の方たちも初めて、こんな奇跡のフロアの一員としてやっていくんだ、とご理解して下さり、皆が気持ちをひとつにできたと思います」
――「丸の内ハウス」では、多士済々な著名人から無名の若者まで交流活発ですが、影響力のある方がここを愛してくれることも、大きなパワーになっているのでは
玉田「『来夢来人』のオーナー・佐藤俊博さんをはじめ、多彩な人脈を持った方々がチームにいるので、普段は丸の内に来ないような方にも来ていただいています。それこそ芸能人やクリエイター、ファッションデザイナーまで。深夜になると、本当にいろいろな人が集まってきて“ここは本当に丸の内なの!?”と思うほどの交流拠点になりました。
一番面白いのは、クリエイターや著名人と、丸の内の一般オフィスワーカーたちが普通に交わっていることなんです。このミクスチャーが生まれることが、丸の内ハウスの最大の魅力だと思います」
――ボーダーレスな面白さ
玉田「丸の内には住む場所がないので、オフィスワーカーがいわば住民なのです。その住民たちにとって居心地のいい場所を作りたい、そして今まで来たことのない人たちからも、丸の内のファンを増やせたらいいな、と。
著名人たちが『丸の内OLを初めて見た』ようなことを言っていたり、当の丸の内OLは、著名人に会ってキャーキャー喜んだり、それが面白いんです。人々を呼び込むには、著名人のエキシビションとか、そういうものだけではダメで、結局は人のつながりなんですよね。誰かに会いに来たり、人が人を呼んだり。
もちろん、カッコいいコンテンツが『丸の内ハウス』らしさを見せてくれることも必要です。丸の内ハウスのブランディングとして、アーティストの制作物も含めて、ビジュアルも全部丁寧に作っていくんですけど、そこにそういう人々の混じり合いが、目に見えない面白さとして加わっている。
エレベーターで7階の扉が開いて一歩足を踏み入れた時に、見えない敷居をまたいでハウスに入り込んだ、という感じが一番楽しいのかな。そんなちょっと緩いコミュニティを作っていきたいと思っているのです。」
――新宿のゴールデン街の店に入るのは常連さんも多いし、かなり勇気が必要。そこまで敷居の高くない、誰でも受け入れてくれそうな緩いコミュニティっていい
玉田「自分の居場所であって、ひとりでも、誰かと連れ立って来てもいい。ひとりでいても誰かしらと出会って盛り上がる、そういうシンクロニシティが面白いんですよ」
――最上階じゃなく、7階という場所もポイント?
玉田「実は、7階というのが非常に難しい位置でした。5階から上がレストランフロアで、普通はほぼ5階で降ります。6階は比較的接待向きで、その目的で行く。だからオープン当初は、7階にまで来る人がすごく少なかったんです。
『丸の内ハウス』と看板にあっても一見、意味が分からないじゃないですか。会員制なのか? と誤解もされたり。このビルの中では、7階は一番僻地だと感じていましたね。だからこそ、皆が一体のチームになれたのかなと思います」
――オープンテラスからの眺望が抜群
玉田「眺めは最高ですよ! ここは昔のビルの屋上と同じ高さで、ビアガーデンをしていた場所なので、景色を眺めるのにちょうどよくて。今は最上階が33階なので、屋上ではビアガーデンはできないですけどね」
――東京駅がいい感じで見えますね
玉田「高すぎないので、人々や車、建物などもリアルな景色として見えます。街をリアルに感じられる、この7階から街づくりの見える化をやっていくことは、非常に大きなミッションだったんです。
私は丸の内が大好きで、世界で一番ステキな場所だと思っています。キレイだし、品があるのに、まさにダイバーシティを表して、どんな人々にも扉を開いている。日本のトップのオフィスワーカーたちと、商業系の人々が交わり合うことによって、以前のような丸の内のビジネス街的な冷たさも変わってきました。
『来夢来人』の佐藤さんは、『丸の内に足りないのはスナック』だと仰いました。人と人との交流が足りないから、みんな毎日仕事では来るけど、自分のお気に入りの場所、サードプレイスは代官山、中目黒や六本木など。プライベートな時間は、丸の内ではないところで過ごしている。
だから丸の内に通う人々にとって、ここがアウェイではなくて、ホームタウンにならないといけないんです。普通に勤続すれば40年近く、人生の半分以上も費やす場所に、自分のホームと思える場所がひとつでもあったら、このエリアで働く人たちもうれしいですよね」
波乱万丈の16年間、売り上げは最高の状態をキープ中
――苦労続きの中でも、コロナ禍の影響はやはり大きかった?
玉田「コロナ禍の影響は確かに大きかったですけど、その前にも多くの大変なことがあって。オープン翌年にリーマンショック、そして東日本大震災です。2012年に東京駅が完成して盛り返しましたが、コロナ禍で初めて全館休業しましたね。
この16年間は本当に波瀾万丈でしたが、ハウスというチームだったので、いろいろと連絡を取り合いながら、皆で乗り越えられました。チームでなかったら、もっと辛かったでしょうね。それぞれが単なるテナントならバラバラでしたけど、コロナ禍もお弁当プロジェクトをやろうか、などとハウスで企画を考えたり、少しでも行動規制が緩めば、お客様が顔を見に集まってきて下さったりしたので」
――やっぱり“人”なんですね
玉田「『丸の内ハウス』が面白いのは、人が人を呼んでくることです。オープン当初から、今日来たゲストが次に来た時は、ホストになって友だちを案内してくれる。その繰り返しで、このフロアの賑わいが続いてきました。
実は、丸の内ハウスの売り上げは、オープン5年後に(オープニング売上の)120%になってから、ずっと横ばいです。通常、商業施設はオープニング時に、パーッと上がりますので、なかなかオープニング時を超えることは難しいのですが。『丸の内ハウス』は最高の状態をキープできました」
――人が人を呼んで、まさに街として成長している
玉田「そうなんです。ビルの中の商業施設というよりは、街の商店街としてたくさんの人に愛されて、人が人を呼んで、という形でやってきましたので」
16年目の改装で新店も増えてパワーアップ
――去る4月のリニューアルオープンでは、どう変わりましたか
玉田「テナントが9店舗から11店舗に増えました(3店舗が退居して5店舗が新入)。実はそれまで、ほぼテナントを入れ替えずにきましたので、ハウスとしても新しいチャレンジです。
16年と言えば、結構長いですよね。多くは10年か15年で、プロジェクトが終わりになりますし。こうして続いているのは、ハウスに憧れを抱く人たちがメンバーに入ってくれて、その新しい風がオリジナルメンバーへのいい刺激になって、より違う方向にもパワーアップできるようになっているから。
お客様もリピーターがすごく多いので、新しくなったハウスを一緒にどう楽しもうか? と思って下さっていることが大きいですね」
――派手なミラーボールの下には寿司屋ができたり、新しいジャンルの店も参戦と、ますます楽しくなりましたね
玉田「鉄板焼きやもんじゃ屋さんなど、今までのハウスにはなかったお店に新たな形で入ってもらい、大阪発のお魚が美味しい居酒屋さんもできました。これからインバウンドも増えてきますが、丸の内には本当に多様なお客様が来るので皆さんのニーズに応えられる、バラエティに富んだフロアになったと思います。テラスも、オープン当初は心配事も多々ありましたが、無事にここまで来たので、東京で一番ステキなテラスにしよう、とリニューアルしたんです。併せてバーも設けました」
――テラスも広くて気持ちいいですよね。料理やドリンクは持ち込みできます?
玉田「ハウス全店のお料理やドリンクがテイクアウトで持ち込み自由、モバイルオーダーもできます。スマホで注文して用意ができたら、LINEアプリに通知が来ます。せっかくデートに来たのに、テイクアウトを買いに行った彼氏が長時間戻ってこない…こともなくなりますよ」
――ちなみに玉田さんのお気に入りの場所は?
玉田「昼と夜の間の空が紫色になり、ビルの明かりだけがキラキラしている、ハウスのマジックアワーがあります。その時間にテラスで一杯飲むのが好きですね」
――それは最高ですね
玉田「どこかで食事をする前に『来夢来人』で、アペリティフを飲むのもおすすめですよ。カクテルがすごく上手なバーテンダーさんがいて、例えばウオッカトニックを、私好みの割合で作ってもらうんです。
携帯がない時代は、バーで待ち合わせしていましたよね。だからハウスのお店には、それぞれバーがあるんです。ちょっと昔に戻った気分でぜひバーで待ち合わせをしてほしいですね」
「丸の内ハウス」がこの界隈を色づく街に
――三菱地所は丸の内でいろいろな実験をされていますね
玉田「地所は、少し堅いイメージがあるかもしれませんが、実は面白いことにも果敢にチャレンジしています。『大手町カフェ』も、さまざまな人々が集まる環境をテーマにしたプラットフォームを作ろうということで、情報発信基地ではなく、情報交流拠点と言っていました」
――1990年代末に三國清三シェフのカフェを誘致して、リブランディングを成功させてから、丸の内の街づくりは進化している
玉田「三國さんのレストランは本当に素晴らしかったですね。朝食から夜までやっていましたし。丸の内の街づくりは、地所が中心になって行っていますけれども、大丸有のまちづくり協議会やNPO法人のリガーレなど、エリアの人々も協力しながら街づくりをしている、丸の内仲通りのような場所は世界中を見渡しても、なかなかないでしょう」
――お上がやれと命令するのではなく、民間がみんなで知恵を寄せ合うところがいい
玉田「公共の道路も民間が整備して、街づくりとして景観条例を作っていく。それが東京駅と皇居の間を任せられたミッションでもあるし、日本一のオフィス街の無機質だったところに、このハウスから、ちょっとでも温かさが生まれてきたらいいな、と思っています。
あまり色彩のなかった街が、ここからちょっと色がつくようになって、音楽やアート、ファッションなども『丸の内ハウス』で、いろいろ仕掛けていきたいですね」
――「丸の内ハウス」が丸の内の色彩を変えていく
玉田「ここは、ただのレストランフロアではないです。レストランのスタッフもオーナーの方々も自信を持っていて、フロアの一体感、チーム感がある。それがこの場所の醸し出す居心地の良さであり、『丸の内ハウス』ならではの混ざり合った感じでカルチャーを発信して、まさに交流の拠点になっています」
――最高に盛り上がるのが恒例の周年イベント
玉田「年に一度、4月の周年パーティだけは、方々からやりすぎだよ!と言われるぐらい、カッコいいパーティにしています。FPMの田中知之さんらDJの方たちも、ハウスチームとして、皆さんハウスの周年パーティの日は予定開けてあるよ、と言って下さいますから」
――誰もが楽しみで仕方がない
玉田「もう『オレの出番はいつなの?』みたいな感じです。田中さんが地方に行かれた時に『「丸の内ハウス」のパーティが一番カッコいい』と言ってくれていると聞くと、胸がジーンとします。それはやっぱり、この16年間に積み上げてきたものと、一緒にハウスを作り上げてくれた人たちがいたから。私ひとりではできないし、地所やオーナーさんたちだけでもできない。チームやハウスを応援してくれる人たちが、たくさんいてこそなんです。
今年の16周年は『スプリング・オブ・ハウス』がテーマでした。スプリングは湧き出す泉、つまり源泉ですね。昔から、動物や人が動き出す時は泉に集まってくると言います。コロナ禍という苦難を乗り越えて、スプリング=春が来たことと、これからさらにスプリング=跳躍しようという願いを込めました。
ハウスに来てくれた人たちにとって、改めてこの場所が丸の内や都会のスプリングとして、癒しや憩いの場、新しい出会いや交流の場になって、帰る時には、少しでも幸せになってくれたらうれしいですね」
「丸の内ハウス」は、並み居る普通のビル内レストランフロアじゃない。フロア全体が丸の内エリアのゲストハウスだから、ここに来る人々は、そのハウスのお客さんとしてチーム一丸でおもてなし。人が人を呼び集い、業界の有名人も普通のオフィスワーカーも垣根なしに交流できる、とても貴重な場になった。16年前に、この真の交流拠点が誕生したのには、玉田さんやテナントオーナーたちが、手を取り合うハウスチームの熱い思いがあった。丸の内ってタダのオフィス街でしょ? なんてまだ思っている人にこそ、ぜひ一度訪れてみてほしい。
玉田 泉(たまだ・いずみ)●1982年、三菱地所(株)入社。1992年、結婚のため退職。2005年、環境をテーマにした『大手町カフェ』立ち上げのために、三菱地所(株)都市計画事業室に復帰。2006年、三菱地所SC事業企画部へ移り、新丸ビル7階の飲食フロア『丸の内ハウス』の統括マネージャーとして立ち上げから担当。2010年に独立(株式会社 オフィス泉 代表取締役)。引き続き統括マネージャーを務めながら、イベントプロデュースや丸の内ハウス事務局運営に携わっている。近年は、日本各地の地域ブランディング、企画広報、伝統工芸のREブランディング、商品開発、イベントプロデュース、飲食のコンサルティング、街づくりのアドバイザー等に携わり、地域活性化のサポートに力を注いでいる。最新のプロジェクトは、東京大学駒場第二リサーチキャンパスの学食「食堂コマニ」のプロデュース。食堂から未来を変えようと奮闘中
聞き手=玉置泰紀(たまき・やすのり)●1961年生まれ、大阪府出身。株式会社角川アスキー総合研究所・戦略推進室。エリアLOVEWalker総編集長。国際大学GLOCOM客員研究員。一般社団法人メタ観光推進機構理事。京都市埋蔵文化財研究所理事。大阪府日本万国博覧会記念公園運営審議会会長代行。産経新聞〜福武書店〜角川4誌編集長
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