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ラー博にまつわるエトセトラ Vol.31

あの銘店をもう一度第23弾  ラーメンを通した復興支援で復活した 気仙沼「かもめ食堂」

2023年09月19日 13時00分更新

 みなさんこんにちは。2024年の3月に迎える30周年に向けて、これまで実施してきましたさまざまなプロジェクトが、どのように誕生したかというプロセスを、ご紹介していく「ラー博にまつわるエトセトラ」。

 2022年7月より、過去にご出店いただいた約40店舗の銘店を2年間かけて、3週間のリレー形式で出店していただく「あの銘店をもう一度“銘店シリーズ”」と、2022年11月7日より、1994年のラー博開業時の8店舗(現在出店中の熊本「こむらさき」を除く)が、3ヶ月前後のリレー形式で出店する「あの銘店をもう一度“94年組”」がスタートしました。おかげさまで大変多くのお客様にお越しいただいております。

前回の記事はこちら:あの銘店をもう一度第22弾 迷いなし!ひたすら濃厚 直球勝負の"どトンコツ" 久留米「魁龍博多本店」

過去の連載記事はこちら:新横浜ラーメン博物館のウラ話

 

 あの銘店をもう一度の第23弾は、東日本大震災の復興プロジェクトとして復活した気仙沼「かもめ食堂」です。出店期間は2023年10月3日(火)から10月30日(月)です。通常3週間の出店ですが、今回は4週間の限定となりますのでお間違えなく!

かもめ食堂の「気仙沼ラーメン潮味 半熟煮玉子入り」

 人にはそれぞれ故郷があります。故郷とは自分の原点でもあり、自分らしさを取り戻せる、そんな場所でもあります。そんな故郷が被災に襲われました。東日本大震災です。

 生まれ育った故郷の風景は津波に飲み込まれ、戦慄を覚える悲惨な光景へと一変しました。

 東京・葛西に本店を構ええるラーメン店「ちばき屋」。

 店主 千葉憲二さんは震災で壊滅的な被害にあった気仙沼で生まれ育った生粋の職人です。

ちばき屋 創業者 千葉憲二さん

 千葉さんも震災で多くの知人・友人を失いました。震災の翌日には救援物資の運搬や炊き出しで気仙沼を訪れ、幾度か訪れるうちに千葉さんは「物資やお金の支援は重要であるが、この先、復興するためには希望や生きがいといった心の支援が最も重要である」と感じるようになりました。

 そんな中、千葉さんはある復興プランを考えました。

 それは以前気仙沼に存在した「かもめ食堂」の復活です。

 「かもめ食堂」は、1952(昭和17)年気仙沼市南町(気仙沼湾沿い)で創業した老舗の食堂です。約6坪14席の店内は、気仙沼漁港に出入りする人、水産加工会社に勤務する人や学生で大繁盛していました。

気仙沼にあったかもめ食堂の外観

 1955(昭和30)年頃からラーメンの提供を始めるとすぐに店の一番人気メニューとなり、以降も地元客に愛され続けた食堂でしたが、平成18年4月、後継者不在を理由に惜しまれつつも閉店。

 そして、2011年3月11日、東日本大震災の津波により店舗跡が全壊してしまいました。

 「かもめ食堂」は特別ではないが誰もが知っている気仙沼のシンボル的なお店。千葉さんにとっても生まれて初めてラーメンを食べたお店であり、故郷を感じる忘れられないお店でした。千葉氏曰く「かもめ食堂は気仙沼の人々にとって日常の食堂。日常であるからこそ震災前の平和な気仙沼を象徴するものであり、復活は復興へのシンボルとなるのではないか」という千葉流復興プランでした。

 千葉さんはできるだけ早く復興のシンボルを復活させたいと思っていましたが、復旧もままならない状況の中、建築制限もあり、すぐに気仙沼に復活させることは難しく、断念せざるを得ないという話を聞いたのが2011年の秋でした。

 千葉さんの想いに共感した新横浜ラーメン博物館の岩岡洋志館長は「ならばラーメン博物館でかもめ食堂をオープンしましょう!ラーメン博物館で”気仙沼”そして”かもめ食堂”の魅力を全国の人に知ってもらい、その後3年を目処に気仙沼にもどり店舗を構え、気仙沼のシンボルになりましょう」と提案し2012年2月2日、気仙沼「かもめ食堂」が新横浜ラーメン博物館に復活を果たしました。

新横浜ラーメン博物館に復活したかもめ食堂

かもめ食堂の歩み
2011年3月-8月 気仙沼にて救援物資支援、炊き出しを実施
2011年8月 千葉氏が気仙沼「かもめ食堂」復活を決断
2011年11月 建築制限により、気仙沼での復活を断念
2011年11月 新横浜ラーメン博物館が首都圏で復活することを提案
2012年2月2日 気仙沼「かもめ食堂」が新横浜ラーメン博物館に復活
2012年3月10日 現役大学生による特別展示「私たちの考える復興」を開催
2012年10月3日 気仙沼市民会館にて「かもめ食堂」のラーメンを提供
2013年11月 気仙沼帰郷出店場所の調査開始(幾度となく気仙沼を訪問)
2015年3月6日 気仙沼の笑顔ウィークを新横浜ラーメン博物館にて開催
2015年4月5日 気仙沼「かもめ食堂」が新横浜ラーメン博物館を卒業

 気仙沼「かもめ食堂」を復活させるのに際し、味は当時の「かもめ食堂」のものではありません。メインのラーメンは、気仙沼らしさを前面に出した塩ラーメンです。そして食堂メニューは、日本料理の名店で料理長まで登りつめた千葉氏が作る本格的なメニューになります。

 かもめ食堂のラーメンは、魚介類を丸二日間塩漬けし、水、酒、昆布を合わせた特製のタレが決め手の塩ラーメン。鶏ガラをベースに煮干し、昆布を加えたダブルスープ。日本有数のサンマの水揚げ量を誇る気仙沼。そのサンマを使った香油が気仙沼ラーメン潮味のポイント。

かもめ食堂の「気仙沼ラーメン潮味 半熟煮玉子入り」

 麺は中細の縮れ麺。適度に縮れた麺は持ち上げが良く、スープ、香油との一体感を強めます。

 半熟煮玉子を最初にラーメンに取り入れた千葉氏。かもめの玉子風に切った煮玉子は昆布ダシに付け込んだ、ひと手間かかったものです。

 そして、2013年の秋から、気仙沼帰郷出店の場所の調査がスタートしました。

 かもめ食堂が気仙沼で復活するにあたり、千葉さんがこだわったのは「可能な限り昔のかもめ食堂と市場に近い場所」でした。

 この頃、区画整理区域外の場所に人が集まり、物件もそのあたりが人気でした。しかし千葉さんは「内湾は漁船が水揚げする港や魚市場があって、船員さんや漁業関係者たちで賑わった繁華街で、この内湾地区が賑わいを取り戻さなければ、本当の意味での気仙沼復興の象徴にはならない。私は商売として復活させるのではなく、復興の象徴になることが目的」と思っていたため、あくまでも内湾地区への出店だけを考えていました。

 そして2015年11月19日、震災発生から4年と8ヶ月、ついに気仙沼へ念願の帰郷オープンを果たすことが出来ました。

気仙沼に復活したかもめ食堂

 千葉さんは追悼の意と共に地元の皆さんでホッと笑顔になれるひとときを共有できればと思い、出来る限り毎年3月11日は「心温まるラーメン」として無料でラーメンを振舞っております。

 故郷とは自分の原点でもあり、自分らしさを取り戻せる場所でもあります。

 派手なことはせずに故郷と共存し、ともに笑顔になる。

 本当に素敵な復興のカタチだと改めて感じました。

 かもめ食堂のラーメンが食べられるのは4週間。出店期間は2023年10月3日(火)~10月30日(月)。この機会に皆様のお越しをお待ちしております。

 そして次回、銘店シリーズ第24弾は旭川「蜂屋」さんです!

お楽しみに!!

新横浜ラーメン博物館公式HP
https://www.raumen.co.jp/

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文/中野正博

中野正博

プロフィール
1974年生まれ。海外留学をきっかけに日本の食文化を海外に発信する仕事に就きたいと思い、1998年に新横浜ラーメン博物館に入社。日本の食文化としてのラーメンを世界に広げるべく、将来の夢は五大陸にラーメン博物館を立ち上げること。

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