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ラー博にまつわるエトセトラ Vol.29

あの銘店をもう一度第21弾 ふくちゃんが素通りさせぬ店の味 博多「ふくちゃんラーメン」

2023年08月22日 11時30分更新

 みなさんこんにちは。2024年の3月に迎える30周年に向けて、これまで実施してきましたさまざまなプロジェクトが、どのように誕生したかというプロセスを、ご紹介していく「ラー博にまつわるエトセトラ」。

 2022年7月より、過去にご出店いただいた約40店舗の銘店を2年間かけて、3週間のリレー形式で出店していただく「あの銘店をもう一度“銘店シリーズ”」と、2022年11月7日より、1994年のラー博開業時の8店舗(現在出店中の熊本「こむらさき」を除く)が、3ヶ月前後のリレー形式で出店する「あの銘店をもう一度“94年組”」がスタートしました。おかげさまで大変多くのお客様にお越しいただいております。

前回の記事はこちら:あの銘店をもう一度第20弾 マグロのアラを白濁させた「ツナコツ」 アメリカ・NY「YUJI RAMEN」

過去の連載はこちら:新横浜ラーメン博物館のウラ話

 あの銘店をもう一度の第21弾は、福岡で圧倒的な人気を誇る博多「ふくちゃんラーメン」さんです! 出店期間は2023年8月29日(火)から9月18日(月)です。

ふくちゃんラーメンの「ラーメン」

 まずはふくちゃんラーメンの歴史からご紹介いたします。

 創業者の福吉光男さんは昭和30年代、当時長浜にあった「しばらく(屋台の支店)」で修業を積み、そこで出会った千恵子さんと結婚。

 その後、独立し1975(昭和50)年8月1日、福岡県早良区百道に店を構えました。

1975(昭和50)年の創業時の外観

 屋号「ふくちゃんラーメン」は福吉さんのあだ名に由来しています。

 店は繁盛し、多くの常連客で賑わうも、1979(昭和54)年、福吉さんは病気になり、店を閉めざるを得なくなりました。福吉さんは何としてもお店を残したいと思い、そこで白羽の矢が立ったのが、妻・千恵子さんの妹さん(榊美恵子さん)のご主人である榊順伸さんでした。

 順伸さんはラーメン作りの経験はなく、突然の話に戸惑いました。

 そのため順伸さんと美恵子さんが独学でラーメンを作ることとなりました。

左:美恵子さん、右:順伸さん

 会社勤めの順伸さんは、会社をすぐ辞める訳にはいかず、会社が終わると自宅の湯船を釜に、タオルを麺に見立てて特訓をしたそうです。麺あげをする右腕に湿布が貼っていない日はなかったほどの特訓だったようです。

 「繁盛しているお店なので自分に代わったから味が落ちたとは言われたくなかった」という順伸さんの言葉通り、その想いが形となり、数年後には徐々に順伸さんのお客さんがついてきました。

 その後、ふくちゃんラーメンの評判は「博多ラーメンの新興勢力」として口コミで広がり、次第に行列が絶えなくなり、長いときには1時間半もの待ち時間となりました。

ふくちゃんラーメンの行列(平成5年撮影)

 その当時の博多ラーメンはどちらかというと骨太な味が主流で、ラーメン好きの博多っ子にとって、キレとコクを兼ね備え、とんこつ特有の臭みのないマイルドなふくちゃんの味に、次第に魅了されていきました。

 現在ふくちゃんの看板に書かれている「ふくちゃんが素通りさせぬ店の味」は、常連さんがふくちゃんに捧げた言葉なのです。

 そしてこのふくちゃんの味はお客さんだけでなく、後に出現するニューウェーブと呼ばれる店々にも大きな影響を与えることとなるのです。言わばふくちゃんは、現在のニューウェーブ博多ラーメンの礎となったお店なのです。また、来々軒という屋号が全国さまざまな場所で見受けるように「ふくちゃんラーメン」と名乗る店も東京や福岡にもありますが、博多の「ふくちゃんラーメン」は正真正銘ここ一軒です。

 ふくちゃんラーメンはその後、口コミと、さまざまなメディアにも取り上げられ、常に1時間~2時間待ちの長蛇の列と、ふくちゃんラーメンを目指してくる車で渋滞が出来ていました。

 繁盛店の宿命と言うべきか、行列が長くなるにつれて路上駐車による近隣からのクレームが出始めたのです。

 この時すでにふくちゃんは、博多を代表するラーメン店として、福岡では知らないものがいないほどの地位に君臨していました。しかし、日に日にクレームは増え、次第にそのクレームは順伸さんにとってストレスへと変わっていきました。

 ”こんな状態じゃ美味しいラーメンが作れない”

 悩んだ末に順伸さんが出した結論は「移転」でした。新横浜ラーメン博物館が開業した1994年のことです。

 順伸さん曰く「結局お客さんがたくさん来てくれても、美味しいラーメンを提供できなければお客さんは離れてしまいます。であれば美味しいラーメンが作れる環境に移転するのが一番いい方法なのだと思いました。あのままやっていれば、いずれお客さんは素通りしてしまいますよ」と。

 そして選んだ移店先は博多から車で30分ほどかかる閑静な住宅街でした。

閑静な住宅街に位置する現在の本店

 この場所は飲食店をやるにはタブーといわれた立地で、当時近くには電車も通っておらず(2005年に地下鉄が開通)、車かバスで行くしか方法はありませんでした。素通りする人すら歩いていない言わば、ふくちゃんに行く目的がないと行かない場所なのです。

 移転した直後はさすがにお客さんの数は減りましたが、ふくちゃんの味に魅了された以前の常連さんが移転を知り、次々と押し寄せてきたのです。

 こうしてふくちゃんは「素通りさせぬ店」から「ラーメンをわざわざ食べに通う店」へと変わっていったのです。

本店の行列(2004年撮影)

 現在、本店を切り盛りしているのは順伸さんの長男であり三代目の伸一郎さん。田隈へ移転したころから店を手伝うようになり、さまざまな葛藤を超え、大学を卒業すると同時にふくちゃんを継ぐことを決心しました。頑固一徹の職人であった順伸さんは、伸一郎さんに対しても一切やり方を教えませんでした。「見て覚える」という昔ながらの職人のやり方で、伸一郎さんは見よう見まねでラーメン作りを覚えました。

 そんなある日、店を仕切っていた順伸さんが突如倒れました。いづれ来る世代交代が最悪の事態で訪れました。2003年の1月の事でした。

 その2日後「店を開けて、あなたがやって」と、姉たちに促されるまま、伸一郎さんは父親の定位置であるカウンター向かいの右奥で麺を上げ、ラーメンをつくりました。

三代目の伸一郎さん

 伸一郎さん曰く「父の隣で10年近く一緒にやって来ましたが、突如父の定位置をやることになり、もの凄い重圧でした。目の前にいるのは長く通われている常連さんばかり。正直お客さんの顔を見ることすらできないほどの緊張でした。最初の1~2年は常連さんからお𠮟りの言葉もいただきました。しかし、続けていくには私自身がお客さんから信頼されなければならない。そのために自分が出来ることは何だろうと真剣に考えました」

 順伸さんが逝去して18年。父親の定位置に立ち始めて20年の月日が経ちました。そして伸一郎さんが出した答えは「お客さんの表情から察しながら、そのお客さんのために一杯ずつ想いを込めてラーメンを作ること」でした。

三代目の伸一郎さん

 そのふくちゃんラーメンの味とは?

ふくちゃんラーメンの「ラーメン」

 スープに使われる食材は創業以来、豚頭のみ。本来単一の食材のみで作られるスープはどうしても臭みがでるものですが、ふくちゃんラーメンのスープは臭みがなく且つコクがあります。

 その秘密は「熟したスープ」と「新しいスープ」とのブレンドでした。「新しいスープ」にはキレはあるが、コクがない。そのコクを引き出すのが「熟したスープ」なのです。

 麺は一般的に九州のラーメンは極細であるという認識をもたれているのですが、それは替え玉の発祥である長浜の流れを汲むラーメン店がそうであり、本来博多の麺は長浜より少し太い麺が昔から使われていました。ふくちゃんラーメンの麺はその昔ながらの博多の麺を使用。麺は低加水(小麦に加える水の量が少ない)のため、濃厚なスープを吸い込み相性は抜群です。

博多本来の麺

 今回の出店は、ラー博店の店長でもある次女の伸江さんが中心となって3週間、ふくちゃんラーメンの味を披露します。本店の店休日には伸一郎さんも駆けつけていただきます!

次女の伸江さん

 再来年創業50周年を迎えるふくちゃんラーメンの味を是非この機会にご堪能ください!!

 出店期間は2023年8月29日(火)~9月18日(月)です。

 皆様のお越しをお待ちしております。

 次回、銘店シリーズ第22弾は久留米「魁龍博多本店」さんです!

 お楽しみに!!

新横浜ラーメン博物館公式HP
https://www.raumen.co.jp/

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文/中野正博

中野正博

プロフィール
1974年生まれ。海外留学をきっかけに日本の食文化を海外に発信する仕事に就きたいと思い、1998年に新横浜ラーメン博物館に入社。日本の食文化としてのラーメンを世界に広げるべく、将来の夢は五大陸にラーメン博物館を立ち上げること。

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