love walker ロゴ

  • Xアイコン

大河ドラマ「べらぼう」の世界! “明治の写楽”豊原国周 と幕末の大家、歌川国貞の役者絵が静嘉堂に大集合

 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で改めて注目を集める浮世絵でも、美人画と並ぶ二大ジャンルの一つが役者絵。静嘉堂@丸の内は2025年1月25日より、役者絵の傑作を多く集めた『[豊原国周生誕190年]歌舞伎を描くー秘蔵の浮世絵初公!』を開催する(2025年1月25日~3月23日。2月26日の後期より展示替えあり)。本展では近世初期風俗画の優品「歌舞伎図屏風」を皮切りに、初期浮世絵から錦絵時代、明治錦絵まで、静嘉堂所蔵品のみで役者絵の歴史をたどる。

 幕末明治は浮世絵円熟期、歌舞伎界では「団菊左」の時代。浮世絵界の重鎮・国貞でなければ描けない肉筆画帖「芝居町 新吉原 風俗鑑」、その弟子で明治の写楽・国周(くにちか)らの「錦絵帖」10冊余りを初公開する。三菱二代社長・岩﨑彌之助(1851年~1908年)の夫人・早苗(1857年~1929年)が愛玩した「錦絵帖」を楽しむことができる。大河ドラマ「べらぼう」にすっかりはまっている筆者も1月24日の内覧会に駆けつけたが、まるで昨日摺られたような鮮やかな作品群は、これまでに見てきた浮世絵などと比べても衝撃的な美しさ。歌舞伎好きな人には、お馴染みの演目が並ぶのも嬉しい。

 奇しくも、2025年5月、6月には、歌舞伎座で、尾上菊之助が八代目尾上菊五郎を、尾上丑之助が六代目尾上菊之助を襲名を行うが、今回の展示には岩﨑夫妻や国周が贔屓にした五世尾上菊五郎を描いた痺れる構図の作品が集まっていて、さらに気持ちが上がる展示になっている。

※展示品の撮影は可能。携帯電話・スマートフォン・タブレットのカメラの使用が出来る。動画撮影・カメラでの撮影は不可。

豊原国周『七世河原崎権之助の千埼弥五郎、五世尾上菊五郎の早野勘平、大谷紫道の不破数右衛門』(明治3年、1870年8月)。版元:伊勢屋利兵衛。本図は明治3年8月5日より中村座・市村座合併興行として上演された「仮名手本忠臣蔵」浄瑠璃「踊俄色花園」に取材。六段目の終わり、早野勘平が舅を殺して金を奪ったと聞いた弥五郎らは勘平の元を去ろうとするが勘平は刀のこじりを捉えて必死に引き留める場面

静嘉堂文庫美術館館長の安村敏信氏。背景の打掛は「白綸子地松竹梅鶴模様打掛」。明治40年(1907年)。岩﨑小彌太の夫人、孝子の旧蔵品として岩﨑家に伝来し静嘉堂文庫美術館に寄贈された

重要文化財である明治生命館1階にある展示ギャラリーに設えられた本展の顔はめパネル前の筆者

 一気に展覧会を回って、さらに細かく見だすときりがないくらい面白い。明治歌舞伎と幕末・明治の役者絵は全然分かってなかったな。「錦絵帖」をずらっと力押しで並べているのが気持ちよい。この美術館は近代洋風建築を活かした施設で、タイムスリップしたような空気の中で抜群の保存状態で真空パックされた作品に触れられる。

 岩﨑彌之助夫人の早苗は、元土佐藩士で明治時代に政治家、実業家として活躍した後藤象二郎(1838年~1897年)の長女で明治7年(1874年)に彌之助に嫁いだ。早年期にはフランス語を学ぶなど洋学を修め、傍ら和歌を作り、長唄を習い、観劇を愉しむなど彌之助同様に趣味が広かった。 岩﨑彌之助、早苗夫妻は五世菊五郎贔屓で、五世菊五郎に大磯の別荘地を提供している。また、錦絵帖の多くが五世菊五郎を描いたものである。

 コレクションの中でも、「梅幸百種」はその名の通り五世尾上菊五郎(1844年~1930年、俳名:梅幸)の半身の舞台姿とコマ絵に俳句などを描いた大判100枚からなる大部で豪華な揃物。明治の名優が、十三世羽左衛門から四世家橘をへて五世菊五郎に至るまでの当たり役が選ばれた。

 浮世絵師・国周の集大成でもあり、菊五郎、国周、そして版元:具足屋(福田熊次郎)のトリオによる渾身の揃物となっている。明治26~27年にかけてのたった2年で完成している。 目録は役者絵も描く梅素薫(二代梅素亭玄魚)で、赤地に、菊五郎にちなんで菊の意匠が配される。 静嘉堂所蔵の本作は、目録付きで一冊の錦絵帖の表裏に100図全てが貼りこまれている。見返し右下に朱印が貼ってあり 「画帖師/錦絵問屋/人形町具足屋」 具足屋に因んで甲冑のデザインが施されており、岩﨑家のための特注、特別装丁と思われる。

 明治歌舞伎は、九世市川團十郎、五世尾上菊五郎、初代市川左團次の「團菊左時代」と呼ばれる黄金時代を築いたたというのは、歌舞伎が好きな筆者も後知恵で知ってはいたものの、本展に描かれた多くの演目や役者の迫力を見て、初めて実感できた。美術好きな人だけでなく、歌舞伎や演劇好きな人もぜひ、来てほしい。

豊原国周『梅幸百種』(明治26年~27年、1893年~1894年)。版元:福田熊次郎。左が五世菊五郎の仁木弾上と九世団十郎の荒獅子男之介。右が五世菊五郎の白井権八と九世団十郎の幡隨長兵衛

歌川国貞(うたがわ・くにさだ。三代豊国)(天明6年~元治1年。1786年~1864年)

 江戸生まれ。姓は角田、名は庄蔵、のち肖造。幼くして初代歌川豊国に入門。画号は一雄斎、五渡亭、香蝶楼など、豊国襲名後は一陽斎など。父庄兵衛は、江戸本所五ツ目の渡船場を経営。 初筆は文化5年(1808年)の合巻『鏡山誉仇討』、錦絵の上限作は文化6年3月とされる。国貞時代より晩年まで役者絵、美人画で活躍、特に五渡亭時代に三枚続や大首絵風の美人画に優品が多い。香蝶楼国貞の名では柳亭種彦の合巻『偐紫田舎源氏』(1829年~1842年)の挿絵が知られ、これを錦絵化した「源氏絵」は、国貞錦絵の売り物となる。弘化1年(1844年)、二代豊国を称するが、今日では3代目に数えられる。錦昇堂から刊行された役者大首絵シリーズは画業の集大成。生涯に描いた作品数は全浮世絵師中、最大数量で、広重、国芳らと共に幕末浮世絵界を牽引した。※プレスリリースより

豊原国周(とよはら・くにちか) (天保6年~明治33年。1835年~1900年)

 江戸京橋に生まれる。姓は荒川。通称は八十八。はじめ長谷川派の豊原周信に師事し、役者似顔を学び、羽子板押絵の原図を制作。嘉永1年(1848年)、三代豊国に入門。画号は一鶯斎、華蝶楼など。美人画・役者絵を得意とし、特に明治2年~3年(1869年~1870年)の人形町具足屋嘉兵衛を版元にした役者似顔大首絵シリーズにより、「役者絵の国周」として知られ、後世小島烏水によって「明治の写楽」と称せられた。また、明治中期の三枚続の大画面に一人の役者の半身像を描く斬新な構図を開拓したほか、写真の流行する時代の影響を受け、陰影法を用いるなど、明治浮世絵に新境地を開いた。83回引っ越し、妻も40回以上かえたという奇行の持ち主。門人に楊洲周延。※プレスリリースより

岩﨑家愛蔵の「錦絵帖」など初公開多数の静嘉堂コレクションで、初期浮世絵から錦絵時代~明治まで、役者絵の歴史をたどる

 展示構成は四章からなり、役者絵の始まりから、幕末、明治に、国貞や国周などの神絵師によって円熟期を迎えた流れがスッと入ってくる。そして、この流れに大きな役割を果たした「べらぼう」の蔦屋重三郎のレアな展示もあって、満足感が大きい。スマホなどで写真が撮れるのもポイントが高い。前期と後期で展示品も多くが変わるので要チェック。

第一章 歌舞伎の流れ

 広義の歌舞伎を描いた絵のはじまりは、慶長年間(1596年~1615年)、京都で阿国歌舞伎が流行した頃と軌を一にする。やがて江戸でも芝居興行が始まると、演目や配役を知らせる木版墨摺りの芝居番付が登場する。程なく墨摺りに手彩色が施された「丹絵」や「漆絵」が、次いで紅色、草色を中心に三版で表現した「紅摺絵」の手法で、役者が見得を切った姿などが表現されるようになる。

 そして明和2年(1765年)、「錦絵」(多色摺木版画)が誕生すると、憧れのスターが色鮮やかに表現されるようになった。役者絵は歌舞伎役者のブロマイドだと言われるが、寛政年間(1789年~1801年)を中心に、勝川派や東洲斎写楽、初代歌川豊国、国政らによって、役者の胸から上を捉えた大首絵の優品が次々に生み出された他、画題のバリエーションも広がった。本章では、静嘉堂の浮世絵版画一枚物のコレクションによって木版技法の発展の歴史をたどりつつ、役者絵の流れを楽しめる。

奥村政信『芝居狂言浮絵根元』(宝暦6年、1756年)。版元:奥村源六。「浮絵(うきえ)」という透視図法により、芝居小屋内を表現している

歌川国政『尾上栄三郎の曾我五郎』(写真左。享和3年、1803年)。版元:上村与兵衛。『市川男女蔵の順礼大助実は孔雀三郎』(写真右。寛政8年、1796年)。版元:山口屋忠助。いずれも国政(1773年~1810年)の得意とした大首絵

鳥居清長『三世沢村宗十郎の小松重盛、中山小十郎の八丁礫喜平治、三世大谷広次の三浦荒次郎、三世市川八百蔵の悪源太義平』(天明5年、1785年)。版元:高津屋伊助。歌舞伎で無言の探り合いをする立ち回り「だんまり」を捉えた作品。美人画の名手、清長(1752年~1815年)の新趣向の役者絵

第二章 珠玉の錦絵帖

 幕末明治期、「錦絵」(多色摺木版画)の彫・摺の技術は最高潮に達した。錦絵界は、歌川派の全盛期、歌川国貞は三代歌川豊国を名乗り、錦絵界の重鎮となった。版元たちも競って趣向を凝らしたシリーズ(揃物)を企画。三代豊国の弟子・国周や、国芳の弟子・芳幾らは写真の時代を意識した斬新な役者絵を生み出した。また役者見立絵とよばれる、架空の舞台を役者似顔で描く作品も版行された。舞台が先か、錦絵が先か、といわれるほどに、芝居の舞台と浮世絵は親密な関係となる。

 有名な白浪五人男の弁天小僧は、三代豊国の錦絵に触発されて脚本が創られ、五世尾上菊五郎(1844年~1903年)の当たり役となった。本章では、岩﨑彌之助の夫人・早苗が愛玩した錦絵帖より、国貞(三代豊国)、初代豊国、国芳、芳幾、二代国貞、そして国周と、歌川派の役者絵が並ぶ。版元が摺りたての錦絵を折帖にして納めたとも言われるこれらの画帖は、冒頭に版元:具足屋の仕掛絵があったり、明治の名優・五世菊五郎の似顔が多数納められるなど興味深い特徴がある。

三代歌川豊国(国貞)『豊国漫画図絵』(万延1年、1860年9月)。版元:魚屋栄吉。左が三世沢村田之助の奴の小万。右が三世岩井粂三郎の弁天小僧菊之介。『豊国漫画図絵』は約2年で29枚刊行された揃物。彫師は頭彫の名手・横川彫竹

三代歌川国貞『横島田鹿子振袖 浜松屋之場』(明治22年、1889年6月)。三代国貞(1848年~1920年)は四代歌川国政から襲名

豊原国周『花競楽屋鏡 全』(慶應1年、1865年12月)。版元:具足屋嘉兵衛。

豊原国周『花台俳優年代記』(慶應1年、1865年12月)。版元:佐野屋富五郎。手前の色紙形に半身の役者を描き、背後の色紙形には、その役者が慶應1年に勤めた演
目と役柄が書き込まれた、いわば、上演記録のようなシリーズ

豊原国周『極楽寺山門の場』(明治22年、1889年6月)。版元:佐々木豊吉。五世菊五郎の当たり役弁天小僧菊之助

第三章 明治の写楽・豊原国周

 本年は国貞の弟子で明治の写楽と讃えられた豊原国周の生誕 190 年。錦絵帖の中でも、国周が五世尾上菊五郎を三枚続一人立の水彩画のような色彩で描いた明治20年代の作が目を引く。これらは福田熊次郎(人形町具足屋)によって版行されている。

 国周は左団次と五世菊五郎を贔屓にしていたそうだが、国周、菊五郎、具足屋のトリオで版行された錦絵は、いずれも丁寧に作られている。そしてこのトリオは国周の集大成、明治26年(1893年)から翌年、わずか2年足らずで菊五郎の当たり役を百枚揃で描いた「梅幸百種」に結実する。国周は「生来任侠にして奇行に富む」「妻を離別すること40人以上、転居実に83度」「一男二女ありしも画系を継がず、門人数名あり」という宵越しの金は持たないような、まさに江戸っ子気質の人だった。

豊原国周『浅野川多賀館の場』(明治28年、1895年)。版元:福田熊次郎。五世菊五郎扮する鳥居又助は右手に刀を振り上げ、左の小脇に梅の方の首を抱えている

豊原国周『加賀見山再岩藤』(明治28年、1895年)。版元:福田熊次郎。五世尾上菊五郎の岩藤の霊

豊原国周『尾上丑之助の禿みどり、四世中村福助の浦里、五世尾上菊五郎の時次郎』(明治27年、1894年1月)。版元:三宅半四郎。歌舞伎座の清元「明烏春泡雪」に取材。

豊原国周『梅幸十種之内一ツ家』(明治23年、1890年)。版元:福田熊次郎。尾上栄之助の娘浅茅、五世尾上菊五郎の老婆茨、四世岩井松之助の児花若実ハ観音化身

第四章 歌川国貞の肉筆画帖

 極彩色で細密に描かれた「芝居町 新吉原 風俗絵鑑」は、江戸の二大歓楽街である芝居町と新吉原の情景を6図ずつ、合計12図とした大画面のアルバム。芝居町の6図は絵巻のように展開し、市村座の前に人が集まる情景、開幕を待つわくわく感を描いた情景、「車引」の舞台、楽屋の様子、「浅間ケ嶽」の舞台、興行が終わり皆で宴会する様子、と歌舞伎小屋での魅惑の一日を網羅した、歌舞伎ファンにはたまらない画帖。本作は無落款だが、その卓越した描写力などから、役者絵と美人画でならした国貞(三代豊国)以外に描ける絵師はいないとされ、現在では国貞の作とされている。

三代歌川豊国(国貞)『芝居町 新吉原 風俗絵鑑』(江戸時代後期、19世紀)

 以下は『芝居町 新吉原 風俗絵鑑』の各画面。

《小特集》蔦屋重三郎

 版元・蔦屋重三郎が打ち出した、歌麿やその弟子たち、写楽周辺の絵師たちの作品を展示する。墓碑が無くなってしまっていたのは残念だが、拓本があったというのは知らなかった。本当に生きていた人間だったという確かな証しだ。亡くなる日の話がユーモアも交えて生き生きと描かれ、銘が「人生は小説のようなもの」とは何と粋なことか。

『蔦屋重三郎墓碑拓本』。版元・蔦屋重三郎の墓碑の拓本。撰文は石川雅望(1753年~1830年)。正法寺(現・東京都台東区東浅草)に建てられた墓碑は既に失われており、この拓本は貴重な資料だ。石川は狂歌師で戯作者、国学者だった。狂歌四天王の一人と呼ばれていた

『蔦屋重三郎墓碑拓本』の大意

栄松斎長喜『難波屋店先』(寛政4~5年、1792年~1793年ごろ)。版元:蔦屋重三郎。浅草寺随身門脇の水茶屋「難波屋」の店先。灯籠に「奉納浅草観世音 願主 蔦屋重三郎」とある。絵師の栄松斎長喜は歌麿と同門。蔦屋重三郎に見出された浮世絵師の一人

栄松斎長喜『難波屋店先』の「奉納浅草観世音 願主 蔦屋重三郎」と書かれた灯籠の部分

東南西北雲『五世岩井半四郎』(文化前期、1804年~1818年)。版元:蔦屋重三郎。北雲は北斎門人

ミュージアムグッズ

開催概要

展覧会名
[豊原国周生誕190年]歌舞伎を描くー秘蔵の浮世絵初公開!
会場
静嘉堂@丸の内(東京都千代田区丸の内2-1-1 明治生命館1F)
※美術館入口は、明治安田ヴィレッジ(旧 丸の内MY PLAZA)の1階
会期
1月25日~2025年3月23日
[前期] 1月25日~2月24日
[後期] 2月26日~3月23日
休館日
毎週月曜日、2月2日(日・全館停電)、2月25日
※2月10日、2月24日は開館
開館時間
10時~17時 (土曜日は18時閉館、2月19日、3月19日、3月21日は20時閉館)
※入館は閉館の30分前まで
入館料
一般 1500円/大高生 1000円/障害者手帳提示の人 700円(同伴者1名無料)/中学生以下無料
日時指定予約制 ※日時指定予約優先。当日券の販売もある。
公式サイト
https://www.seikado.or.jp/exhibition/current_exhibition/
 

この記事をシェアしよう

丸の内LOVE WALKERの最新情報を購読しよう

この連載の記事