変化する重要文化財「明治生命館」で感動を与え続ける丸の内びと――布佐胤彦さん、和久寿明さん
2025年07月17日 12時00分更新
丸の内LOVEWalker総編集長の玉置泰紀が、丸の内エリアのキーパーソンに会いに行き、現在のプロジェクトや取り組みなどのエピソードを聞いていく本連載。第24回は重要文化財「明治生命館」について、明治安田生命保険相互会社の布佐胤彦さんと和久寿明さんにお話を伺った。
西洋風の建物が居心地よかった? 11年間も駐在したGHQ
――――明治生命館の歴史について教えていただけますか?
布佐「1928年に三菱二号館が手狭になったということで、増築計画が持ち上がったんです。そこで当時日本の建築界を代表する建築家8名でコンペをして、翌年に岡田信一郎氏が選ばれました」
――――昭和初期でももうコンペ式だったんですね。
布佐「当初は二号館隣に新社屋を建てる計画でしたが、岡田氏が、二号館ごと全面建て替えを進言し、建築顧問・曾禰達蔵氏もこれに賛同して、方針は全面建て替えに改まりました。二号館も貴重な建物だったのですけどね」
明治生命館は、クラシックな西洋古典主義建築の要素とモダンな意匠が融合した美しい建物。岡田氏の個性が反映された重厚な外観や、内部の大理石の柱、シャンデリアなど、細部までこだわりが感じられる。象徴的なファサードや、歴史を刻む重厚な雰囲気は唯一無二だが、内部のアールデコやスパニッシュデザインなど岡田氏のモダニズムへの傾倒もクラシックな枠組みの中で絶妙に調和しているのが魅力だ。
布佐「当時の洋式建築の手法を含め、いろいろな技術を使いこなした建物ですよね」
――――戦後はアメリカ空軍の司令部があったそうですね。
布佐「地下の一角だけが書類保管庫として使用が許されていましたが、戦後約11年間はGHQに接収され、建物は米軍へ貸与されていました。2階会議室では、戦後日本をどうするかという会議(対日理事会)が計160回ほど開かれ、初回にはマッカーサーが演説したと言われています」
11年間もの接収は、もう“仮住まい”というレベルではない。GHQにとっても、居心地の良い、愛すべき場所であったということなのかもしれない。
――――その後、1997年に国の重要文化財に指定され、2001年には明治安田生命ビル建設に伴って明治生命館の保存再生のための改修もされました。
布佐「1981年に新耐震基準が、1995年には阪神淡路大震災を機に耐震改修促進法が成立し、建築物を取り巻く環境が大きく変わりました。明治生命館はそれ以前に耐震性の調査を行い問題がないことを確認していたのですが、そんな中で1997年に重要文化財となり、1999年には都の“重要文化財特別型特定街区”制度が誕生します。文化財を保存する代わりに容積率・高さを緩和できる仕組みで、明治生命館を保存しつつ新ビルも建設できました。後世に遺すべき建物を支える画期的な制度でした」
休日にも人が訪れたい場所へ
――――個人的には明治生命館の中に静嘉堂文庫美術館ギャラリーができたことに衝撃を受けました。
布佐「そもそも静嘉堂さんが創立した当時に、丸の内にそういう場所を作りたいという想いがあったようです。2022年は静嘉堂さんが130周年の節目を迎え、三菱グループも150周年というタイミングだったので、その節目での取り組み機運から移転計画が出たのです」
静嘉堂の歴史を考えると、クラシックな場所に移転したことで明治生命館とも、丸の内エリアとも調和しているような印象を受ける。
――――明治生命館の構図を生かしたギャラリーは素敵ですよね。
布佐「吹き抜けに自然光が降り注ぐ美術館は珍しいと思います。重要文化財の建物ではあるものの、維持・保存しなければならない部分と、それ以外で改修等含め利用できる部分に区分されています。静嘉堂さんが入居された区画は後者の範囲だったため受け入れが叶いました。それでも創建当時からの仕上げ材などがありほぼそのまま生かしてお使いいただいています」
明治安田ヴィレッジは、明治生命館と2004年に完成した明治安田生命ビルで構成されている複合施設。人気のレストランやショップが入っていて魅力がある。「ヴィレッジ」すなわち「村」というのも言い得て妙で、福島県のJヴィレッジ(サッカーナショナルトレーニングセンター)も連想させ、新しい動きを感じる。
――――明治安田ヴィレッジは新しいコミュニティの可能性を感じさせてくれますね。
布佐「当社には健康増進を後押しする『みんなの健活プロジェクト』と、地方創生を推進する『地元の元気プロジェクト』という2「大」プロジェクトがあります。明治安田ヴィレッジは特に後者を体現し、本社地元・丸の内を活性化を企図して誕生しました。『地元とひとが元気になる空間」をコンセプトに、地域住民や来訪者を健康・地域貢献コンテンツで結び、健康増進や地域活性化に資するさまざまなイベントを開催しています」
和久「実はこうした “ヴィレッジ”と呼ぶ拠点は現在丸の内に加え、ホール施設のある東陽町や、当社の地域本部・地域リレーション本部が所在する全国の主要都市などに設置しています」
丸の内は元々金融街で、土日はシャッターが閉まっており、人の姿はなかった。そこから徐々に店舗や施設が増えていき、現在では休日にも人が集まる場所になっている。
和久「静嘉堂さんは土日にも開館していますので、そこに来られた方をお迎えする場所もないといけないなという想いもあって、今のように地下にいろいろな店舗が入るかたちになりました。仲通りの人通りも昔とは様変わりしていますね」
丸の内でフードコート、重要文化財の中にカフェ
3月31日には、明治安田ヴィレッジ地下2Fを「丸の内FOOD HALL」として開業。上質さとカジュアルさを兼ね備えたフードスペースとして注目を集めている。
和久「コロナ禍で閉店するテナントもあり、一方で建物の竣工20周年を迎える時期とも重なったため、改装して再始動することになりました。ヴィレッジを訪れた方に新たな食空間の提供として、フードホール業態を採用しようということになりました。ディナーは配膳付きで、通常のフードコートよりワンランク上の体験を提供するといったコンセプトです」
――――オープンされて数ヶ月ですが、お客様の反応はいかがですか?
和久「4月にテレビ東京の『アド街ック天国』という番組で取り上げていただいたことで、知名度はかなり上がりました」
――――今後の課題や予定などはありますか?
和久「昨今は夜お店でお酒を飲む方が減っているので、そこをどうやって盛り上げていこうかというのが課題ですね。7月には、みなさんご存知の『丸亀製麺』(7月4日オープン)と、十割蕎麦の『相馬庵』(7月22日オープン)がそれぞれ新規開店し、すべての店舗が出揃います。ぜひ足をお運びいただければと思います」
――――かなり充実しますね!
布佐「それだけではありません。11月には、明治生命館1階に文化財資料の展示スペースを併設したカフェがオープン予定です。荘厳な空間なので、落ち着きもありますし、館内をご覧いただいた後に、重要文化財の中でくつろいでいただければと思います」
人生の思い出の舞台になれる場所でありたい
――――お二人が丸の内で気に入っている場所を教えてください。
和久「4月に2年振りに丸の内勤務になったんです。戻ってくると、丸の内の落ち着いた雰囲気の良さを再認識しますね。退社時に、明治生命館前でウェディング撮影するカップルを見かけたりすると、その方たちにとって人生の思い出の舞台になっているのかとほっこりします」
布佐「丸の内は全体的に落ち着いた雰囲気がいいですね。雑踏を歩くと疲れてしまうことが多いのですが、丸の内は人が多くても心地よく歩けます。晴れた朝に通勤途中に皇居へ散歩しつつ遠くから明治生命館を眺めると、やっぱり良い建物だなと思いますね」
――――明治生命館の中でお気に入りの場所はありますか?
和久「普段は滅多に入ることはないのですけど、かなり以前に応接室に入る機会がありました。映画のセットのようですごく驚いたのを覚えています。お客さまをご案内する場所なんですが、すごく感激しましたね」
布佐「1階2階の吹き抜け空間が見事だなぁと思います。ぜひたくさんの方に見ていただきたいですね」
布佐胤彦(ふさ・たねひこ/写真左)
●1959年生まれ。岩手県出身。1992年入社し、不動産関連業務に従事。
和久寿明(わく・としあき/写真右)
●1968年生まれ。静岡県出身。1991年に入社し、1995年から不動産関連業務に従事。
聞き手=玉置泰紀(たまき・やすのり)
●1961年生まれ、大阪府出身。株式会社角川アスキー総合研究所・丸の内LOVEWalker総編集長。国際大学GLOCOM客員研究員。一般社団法人メタ観光推進機構理事。京都市埋蔵文化財研究所理事。産経新聞~福武書店~角川4誌編集長。
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