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無くなる前に見に行こう! 地下に隠された昭和大開発時代の遺産

2023年08月04日 12時00分更新

 ブログ「超高層ビル・都市開発研究所」を運営し、9年間ほぼ毎日都市開発ネタを発信するマニア「きりぼうくん」。本連載では、丸の内に広がる地下空間の楽しみ方を、マニアならではの知見とともに解説してもらいます!

 今回は、前回よりもさらにマニアックな、丸の内地下の歴史を感じることができるスポットをご紹介。彼が実際に探検した様子に加え、その景色ができた背景などのウンチクも語ってくれました! 

どうも「きりぼうくん」です。最近友人がこの連載を読んでくれたようで、地下移動でショートカットを実践したと聞きました。嬉しい限りです! ちなみにその記事はコチラ

 前回の記事では、丸の内地下ダンジョン誕生のいきさつと、昭和30年代建設当時の姿がそのまま見られる「大手町ビル」を紹介しました。今回はさらに丸の内地下中を巡って、きりぼう的にロマンを感じた、今も残る過去の痕跡を探してみました。年代が古い順に、4スポットお伝えします!

1 ルーツは日本初の地下駐車場だった⁉︎「行幸地下通路」

 行幸通りの地下に整備された「行幸地下通路」。東京駅と「丸ビル」、「新丸ビル」、二重橋前駅を地下で結んでいて、雨の影響を受けずに移動できることから多くの通行人に利用されていますよね。でも実はココ、元々は1960年に日本初の地下駐車場として作られた「丸の内駐車場」だったんです!

当時の「丸の内駐車場」の写真が掲載された「丸の内パークイン」のポスター

 当時は地下1階、地下2階の2フロアが駐車場となっていましたが、丸の内の再開発が進むに連れ各建物に駐車場が完備されていき、需要が減少。そのため、2007年に地下1階部分が「行幸地下通路」へと生まれ変わったのです。ちなみに地下2階部分は「丸の内パークイン」の「丸の内中央パーキング 中央ゾーン」としてリノベーションされています。

 それぞれを訪れてみると、柱の並び方や天井の高さが同じで、作りが同一であることが分かります。

「行幸地下通路」東京駅丸の内側の入口。円柱の柱が並ぶ風景は神殿みたいでカッコいいですよね

地下1階の「行幸地下通路」

地下2階の「丸の内中央パーキング 中央ゾーン」。比べるとかなり似ています。ちなみにこの駐車場についての詳しい記事はコレがオススメです!

2 見た目は一つ、地下を見れば二つ!「国際ビル」・「帝劇ビル」

 丸の内三丁目に建つ、オフィスビル「国際ビル」と帝国劇場が入る「帝劇ビル」。どちらも1966年竣工で9階建て、外から見ると一つの建物にしか見えないのですが…フロアマップや地下駐車場を見ると境目がはっきりあり、別々の建物であることが確認できるんです!

 同じ建物に見える経緯は、歴史を辿ると分かります。まずは1911年、当時何もなかった日比谷濠に面した三菱地所の所有地に、東宝が建物を所有する形で「帝国劇場」が竣工。やがて同じ区画に三菱地所所有の「三菱仲3号館」が建設されたのですが、その建替え時に、帝劇を含めた共同ビル建設を検討しました。東宝がその打診に応じて、1966年に三菱地所が所有するオフィスビル「国際ビル」と東宝が所有する「帝劇ビル」が完成。つまりあえて同時に建てた訳です。ちなみにビル本体と劇場内部、構造設計はそれぞれ別の設計者が担当。かなり難易度が高い条件だったそうです。 

 両ビルとも2025年を目処に閉館し、再開発される計画が決まっています(時期は未定)。残り2年しか今の姿を見ることができないのは少し残念ですが、開発マニアとしては次にどんな建設物が建つのかワクワクしますね!

写真の真ん中の建物が「国際ビル」と「帝劇ビル」。上から見ても完全に一つのビルに見えます (Google Earthより引用)

実際に「帝劇ビル」を探索。写真は地下2階の飲食店街です。築57年なだけあって照明の薄暗さや床のタイルがレトロさを感じますね

同じフロアには年代モノ特有の渋い色合いに変化した消火栓も

こちらはエレベーターホール。レンガ風な壁の質感や大理石壁のツヤツヤ感もザ・昭和!

両ビルを合わせた地下2階のフロアマップ。L字型の「国際ビル」が、「帝劇ビル」を覆う形で建っていることが分かります

ビルの境目は地下3階と地下4階の駐車場でも確認できました! 床の高さが若干異なるため、スロープになっているんですね

地下商店街でも、床の高さに違いが出ています。写真のように階段が設けられ、ビルの境目がはっきりと分かります

「帝劇ビル」のフロア構成

3 闇市の名残があるエリアに建つ「東京交通会館」地下は、レトロな飲食店が並ぶ迷路のよう!

 有楽町駅東口前にある、地上15階、地下4階の「東京交通会館」は、東京オリンピックが開催された翌年の1965年に竣工。当時の近代派建築を象徴するアーチ状の窓や煉瓦壁の外観をはじめ、中に入れば、白と黒のタイルが張られた床や大理石調の壁など、昭和の面影を残す懐かしい香りが漂う複合ビルです。特に地下1階は、地方のアンテナショップやレトロな喫茶店などが入居していてなんともカオス。 

 もともと戦後の闇市から発展した「すしや横丁」と呼ばれる木造建築の飲食店が密集するエリアに建設されたこちら。迷路のように入り組んだ通路が広がる地下1階に飲食店が並ぶ風景は、なんだか当時の空気感が漂っているような気がしました。

地下一階のフロアマップ。およそ60店舗が軒を連ねていて、通路も複雑。ですが散策する楽しさも味わるんです(東京交通会館公式HPより引用)

「東京交通会館」の地下エントランス。横長のフォントから昭和を感じますね

地下の商業空間の様子。竣工時は丸の内から銀座まで地下で繋がっていませんでしたが、「有楽町イトシア」の再開発などにより地下通路としての機能も果たすようになりました

豪華な照明。左手前には渋い暖簾がかかる寿司店の姿が

狭い路地にラーメン屋や定食屋が密集する「横っちょ横丁」。食事場所探しには困らないグルメな地下通路です

地下から地上を螺旋階段が繋いでいる吹き抜け。豪華なシャンデリアが目立ちます。写真奥の「有楽町イトシア」に繋がる通路ができる前は、ここが地下ダンジョンの南端でした

4 新幹線の駅になるはずだった「JR京葉線東京駅」

 「東京ディズニーランド」に行くための利用客が多い「JR京葉線東京駅」。JR山手線などのホームから400mほど離れていて、改札にたどり着くまでにずいぶんと歩くのが大変で、なんでこんな場所にあるのか不思議に思う方も多いと思います。

 コレ実は、東京駅と成田空港を結ぶ「成田新幹線」計画の駅の名残を無理やり利用しているからなんです。

 計画は1974年に着工されましたが、沿線の反対運動激化や国鉄の財政悪化などにより1983年に凍結。一方で、当初貨物線として開業していた京葉線は、沿線の急速な発展や「東京ディズニーランド」の開園などによって、旅客線として運行されることが決定。その際に、都心の駅としてベストだったのが、「成田新幹線」計画の駅に京葉線のホームを新設するということでした。そのため、現在の場所に京葉線が乗り入れることになったのです!

京葉線東京駅改札前の地下通路。当初は新幹線の駅としての利用を想定していたためか、幅の広い通路や高い天井など豪華絢爛な造りが特徴でした!

ちなみに、丸の内からは遠く離れますが、「イオンモール成田」の裏側にある巨大な建造物も「成田新幹線」の遺構。成田空港に行くときに見た人がいるかもしれません(Google Earthより引用)

 今回は歴史を感じられる4つのスポットを紹介しましたが、いかがでしょうか? なんとなくいつも見ている地下空間でも、実は隠れた歴史があることにロマンがありますよね。日々開発が進んで、新しいビルや商業施設、店舗がどんどん生まれる丸の内。今しか見られない風景かもしれないので、ぜひ実際に訪れてみてください! 東京の中枢が発展し続けてきた証を間近に感じることができるかもしれませんよ。

文/きりぼうくん

超高層ビル、タワーマンション、駅ビル、地下街、再開発ネタを発信する「超高層ビル・都市開発研究所」の運営をしているブロガー。デベロッパー、ゼネコンのニュースリリース、さらには内閣府や都道府県など行政機関が出す情報を得て、現地を実際に巡るスタイルで取材。記事は9年間ほぼ毎日更新。Twitterでもアツく情報を投稿し、フォロワーは約3.6万人に及ぶ筋金入りの都市開発マニア。

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・Twitter 「超高層ビル・都市開発研究所の中の人 (きりぼうくん)

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