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77回もの歴史を誇る野球大会! 〈丸の内を彩る人々〉第4回 ~丸の内軟式野球大会の歴史と舞台裏・前編~

 こんにちは! まちづくり法人リガーレです。

 年に1度、大丸有エリアにオフィスを持つ企業の交流事業として行われる丸の内軟式野球大会。今回は、2023年に第77回を迎えたこの歴史ある大会について、お話を聞いてきました。

・取材日:2023年10月24日(火)
・場所:DMO東京丸の内
・聞き手:リガーレ事務局 真田、大谷、福士、髙山
・話し手:
 山本 寛明さん

 元々ご自身も野球をプレイされていた経験もあり、日本プロ野球OBクラブで社会人生活をスタートし、野球選手が引退した後のマネジメントや野球教室の企画・運営をご担当されたのち、現在の株式会社サンプラックスに移る。丸の内軟式野球大会の事務局業務は2015年からお務めいただく。その温かい人柄と堅実な仕事ぶりで、伝統ある大会を最前線で支え続けている。

 古井 茂さん(カメラマン)

 1975年、丸の内のタウン情報誌「月刊丸の内」を発行する株式会社菱芸出版に入社。丸ビルクラブ(当時の野球大会の主催)との関係もあり、丸の内軟式野球大会では第30回大会から写真を撮り続ける。今では丸の内軟式野球大会の歴史を一番知る人と言っても過言ではない。
※本記事内の試合や開会式の様子の写真は古井さんが撮られた写真を使用しています)

第77回(2023年)の振り返り

真田:まずは今年の第77回大会の様子から振り返っていきたいと思います。お見せしている写真は全て古井さんがご撮影されたものです。
 初日は例年通り開会式からスタートしました。毎年お願いしている外苑審判倶楽部の審判長さんからもご挨拶をいただきましたが、いつ頃から審判をお願いしていたでしょうか?

古井:丸ビルクラブが主催していた頃は、法政大学の野球部が審判をやっていたので、その後ですよね。

山本:僕が担当し始めた時も、大宮けんぽグラウンドで試合をする際は法政大学の野球部が審判をやってくださっていましたね。外苑審判倶楽部は神宮でしかやっていただけないのかと思っていたら、「大宮も行きますよ」と言ってもらえて。

古井:僕も、あぁここまで来るんだと思いました(笑)。

真田:開会式の後は、トーマツとニッスイ野球部の試合からスタートしました。

開会式の様子

山本:トーマツのピッチャーは名物ですね。淡々と投げるエースです。

古井:毎年毎年すごいですよね、ほんと。

トーマツvsニッスイ

山本:同じく1回戦の三菱地所(前年準優勝)とPwC Arrowsのカードはものすごくいい試合でしたね。

真田:1回戦にはもったいないくらいでしたよね。

山本:PwCさんも強いですからね。年によっては上の方まで勝ち抜きますから。こんな試合もありますけど、1回戦は和気あいあいとした感じですよね。

三菱地所vsPwC

真田:今年の1回戦はじゃんけんまでもつれた試合もありましたよね。
注)大会規定により、7回ないしは1時間半を経過した時点で同点の場合はじゃんけんで勝敗を決する

山本:あー、ありましたね。西華産業 野球部と東宝ゴジラの試合。東宝は今年3位まで行きましたので、そういう意味では西華産業もいい戦いでした。じゃんけんで決めるのはつらいんですけど、これが一番盛り上がるんですよね(笑)。

古井:本当に盛り上がるんだよね(笑)。

山本:普通に勝ってもこういう喜び方はしないんです。

古井:最近のチームは優勝しても淡々としてるからね。

西華産業vs東宝ゴジラ

真田:大会の最終日は、3位決定戦 東宝ゴジラと三菱地所でスタートしました。タイブレーク方式の延長戦までもつれ込んで、10-7で東宝ゴジラの勝利という結果でした。

山本:打ち合いでしたね。最初は三菱地所が勝っていたり、シーソーゲームでした。両チームとも「打」のチームでしたので、取られても取るぞという感じです。活気のある試合でしたね。

東宝ゴジラvs三菱地所

真田:決勝はみずほ証券 野球部と、山九 首都圏エリアのカードになりました。

山本:どちらもいいピッチャーなんですが、決勝は少し苦しんでいましたね。決勝は点数が入りましたけど、どちらも丁寧に守ってという感じのチームです。みずほ証券は一番丁寧なチームで、玄人向けの野球をしていたかと思います。

真田:みずほ証券が先行して点を取って、最終的には9-6で逃げ切るという形になりました。山九も惜しかったですよね。

山本:すごく面白い試合でしたね。どっちが勝つか途中まで全然分からなかったですし。

真田:みずほ証券、今回が初優勝ではないでしょうかね。

山本:そうですね、過去のことは分からないですが、僕が担当し始めてからは初優勝だと思います。

古井:いや、多分優勝経験ないと思います。

山本:自分たちの会社が過去優勝したかどうかって、案外分からないんですよね。誰に聞いていいかも分からない。

真田:みずほ証券の監督さんからは「その時々に来られる選手が力を出し切ってくれた」というコメントもありますが、まさにこの野球大会の特徴でもありますね。

山本:そうですね、皆さん他の予定もあって全ての試合に出場できるわけではないので、毎試合来られるわけではないから、 メンバーが揃わない時もある。特に東宝ゴジラなんかは、夏フェスとかと重なると、マネージャーとして現場に行かなきゃならないメンバーもいたりするらしいんですよね。

山九vsみずほ証券

真田:ということで、今年の夏も去年に引き続き一度も雨天中止になることもなく終わることができました。

古井:今年はすごく暑かったです。私が担当し始めた頃の夏と今の夏って全然温度が違う。もちろん昔も暑い日はありましたけど、こんなに暑い日が続くってのはまずなかったですから。大会前半は暑くても、お盆過ぎになるとだいぶ涼しくなったりしましたからね。

真田:幸いにも今年は誰もいませんでしたが、今大会から熱中症も傷害保険の適用範囲に含めたくらいです。
 ところで、もしかしたら、明治神宮外苑のグラウンドが使えるのが今年限りないしはあとわずかかもしれません。
注)明治神宮外苑地区では再開発事業の計画があり、軟式グラウンドも廃止となる予定

古井:あれだけの立地でできる場所はなかなかないね。

山本:でも大宮けんぽグラウンドもグラウンドの質はなかなかいいですよ。芝も綺麗。ですし、選手からの評判もいいです。本当は併用できると一番いいですけどね。

古井:中心地でこれだけやろうとするとやっぱり難しいんでしょうね。

真田:神宮が使えなくなった後のことは考えなくてはならないですね。

山本:数年前まではダブルヘッダーを組んでいましたね。 でないと日程の中で収まらないからって。スケジュールの都合とはいえさすがに、この暑さでダブルヘッダーは厳しいということで止めたんですけど。
注)ダブルヘッダー:1日に複数の試合や開催を行うこと

丸の内軟式野球大会の歴史を探る

真田:そもそも、この大会は戦後直後の昭和21年(1946年)に丸ビルクラブの主催により始まって、その後対象ビルを広げていきながら開催されてきたようです。今は明治神宮外苑で開催していますが、昔は決勝戦の際に後楽園や横浜スタジアム を使ったりもしていました。
注)第1回大会の優勝は日本製鐵株式會社(現 日本製鉄株式会社)

第40回大会開催時の写真

古井:丸ビルクラブっていうのは元々丸ビルの防護団、要するに戦争中に自分たちでビルを守るという隣組のような組織でした。戦後、平和な世の中になったから、MRC(丸ビルレクイエーションクラブ)として、のど自慢大会やダンスパーティーを開催するようになる中で、野球大会を始めたんですね。「丸ビル列車」なんてものもあって、ビルのテナントさんで1編成仕立てて色んな所に行くんです。

大谷:「♪ビルは~ 丸ビル~」っていう歌が流れるやつですね。当時は電車の中でお酒を飲むというのは割と普通だったので、まるで居酒屋列車のようでした。みんなベロンベロン?になる(笑)。

古井:列車が貸し切りなので、車内放送を使ったり、周りの商店から色んな商品を集めてきて、抽選会もやってましたね。でも段々高齢化してしまって、丸ビルクラブは解散することになってしまいました。

山本:前は三菱と三井のグラウンドを使っていて、特に三菱系のチームは普段使い慣れてるグラウンドだから、終わった後に芝生で円になって飲んだり、優勝カップを綺麗に洗ってビールを注ぐなんてこともやってましたね。

真田:今神宮でやったら間違いなく怒られますね(笑)。

古井:丸ビルクラブが解散したあたりで、リガーレさんに主催が移ったのだと思います。

真田:ちなみにこの第40回大会の横浜スタジアムの写真は古井さんが撮られたものですか?

古井:ええ、これは僕が撮ったものですね。この回は、伝手を辿って安い値段で借りられたとかで、もっと前は財界で野球を好きな方々がやっていた大会の予備日としておさえていた日の後楽園を使わせてもらったと聞いたこともありますね。

古井さん

真田:もうなんかここら辺の写真が散逸しちゃって、どこにも保存がなくて…。

古井:これはね、僕の責任なんです。写真はみんな僕の方で持っていたんだけれど、菱芸出版が倒産してしまったので持ち出そうと思ったらそれができずに終わっちゃったんですよ。で、リガーレさんにお持ちしようと思ったんですけど、(倒産が)突然だったので、そのままどこかに行っちゃったんです。

真田:社内にはこんな写真も残っていました。

古井:これは皇居前の、今の和田倉噴水公園ですよね。写真自体は1940年代後半だと思います。

一同:へぇー!

和田倉噴水公園で開催された当時の写真

古井:あそこは、今の上皇様がご結婚された時にできた公園ですけど、その前までは空いてたらしいんです。でもここでやったのは第3回か4回大会までですし、野球場というよりただの広場ですけどね。
 見ての通りユニフォームじゃないものを着ているし、昔は家族総出で観に来て、お揃いのアイテムを作ったりして、応援は今よりも派手でした。せっかくの夏に家族サービスもできずに試合に出ているから、選手の皆さん相当気を遣っていたんでしょうね。

山本:ここまで来ると一大イベントですね。あそこで野球ができてたってことが驚きですね。今だったら金属バット持ってるだけで怒られそう(笑)。

真田:この写真は2005年のものだそうで、日立とIHIが写っていますね。

2005年開催時の写真

古井:この頃、色んなところで大会をやっていましたね。新日鉄(現 日本製鉄)とか三菱電機とか、花小金井(千代田区立花小金井運動施設のこと)とか。

真田:これが2009年の写真ですね。もう神宮で開催しています。それで今に至る、という形ですね。

2009年開催時の写真

野球大会の現場から

真田:山本さんには、事前の準備から含めて半年くらいかけて進めていく中で、野球大会の普段の様子や感じられることがあれば是非お話しいただければと思います。
 スタッフの皆さん、本当に仲が良いですよね。

山本:そうですね、仲良くやらないと、っていうところもあります(笑)。あまりかっちりしたイベントではないので、スタッフも笑顔で元気に対応してもらっています。選手の皆さんも運動しに来るので、気持ちよく送り出して楽しく野球をやってもらおうというのが運営方針です。

スタッフの皆さん

山本:皆さんやっぱり楽しそうですよね。

真田:山本さんって、野球大会の現場に行かれる時、このシャツって決めていらっしゃいますよね?

山本:決めています! 別にスタッフシャツがあるわけではないので、「何か困ったらあいつに聞けば分かる」と思ってもらえるように同じものを着ています。もう9~10年くらい現場にいるので、各チームのキャプテンクラスの人たちは顔を覚えてくださっているので、僕が動き回っていても声を掛けてもらえるようにしています。

真田:まさに山本さんのトレードマークですね。

山本:古井さんの写真は素晴らしい瞬間を写し取っていて本当にすごいんですが、何か起こりそうっていう予感とかあるんですか?

古井:いやいや(笑)。

真田:写真を撮られてどれくらいですか?

古井:野球大会は第30回からだけれども、きっかけは高校の写真部で。そのあと写真学校に入って先生の助手をやって、菱芸出版に入社してという感じですね。

カメラを構える古井さん

髙山:野球大会と同じくらい長く、ずっと撮り続けているものはあるんですか?

古井:丸の内ですね。丸の内の変化を撮り続けています。ただ、今のところ整理が出来ていないんです(笑) 整理しようしようと思いながら老後になってしまって…。

真田:その定点観測はすごく貴重な資料になりそうですね! 最近の丸の内にはどんな印象をお持ちですか?

古井:今日も久しぶりに来ましたけど、相当変わりましたよね。「こうだったっけ?」っていう感じで、最近は変化が激しくて。丸の内仲通りなんてずいぶん歩きやすくなりましたよね。

真田:丸の内でここが好き、みたいな場所はありますか?

古井:日比谷公園の前のお濠(日比谷濠)から丸の内を見ると、昔は同じ高さのビルが建っていましたけど、今は高層ビルが並んでいる。その変化がすごいなと思いますね。私の入社の頃は高いビルなんて東京海上日動ビルくらいしかなくて、それも今は取り壊しになっていたりして。

真田:色々な方にご協力いただいて、歴史を紡いできていますね。
 ところで、個人的に、この写真が結構気に入ってます(笑)。

お気に入りの1枚。山本さんが写っている

山本:温かく見守っている感じですね(笑)。 やっぱり試合を見ていると面白いですよね。決勝とか3位決定戦になるとガチンコになってくるんですけど、初日なんかはチーム数も多くて、色んなチームがいて、企業ごとのカラーもあるんだろうなとか想像したりします。

古井:(大会の)最初の方は外野フライが上がると大体取りこぼすんですよね(笑)。

山本:必ずしも野球経験者だけではなくて、野球をやってみたいっていう人も集まるのがこの大会の魅力の一つなのかなと思います。連盟の大会とかにいくとなかなか入りづらかったりするので。

古井:和気あいあいとやってますよね。ヤジも思わず笑っちゃうようなものもあって、ユーモアがあるものは会場を和ませます。

山本:結構若手が出ていて、上の人がベンチにいてヤジったりすることもありますし、会社との役割の違いが出るのかなって。それこそ部長クラスの人が裏方で見守って、若い人たちが主役になるとか。

真田:受付での会話も結構ありますか?

山本:ありますよ。スーッと去っていく人もいますけど、「あの試合どっちが勝ちました?」とか「暑いですよねー」とか声をかけてくれる人もいますし、僕を見ると「あのピッチャーどうでした?」と聞いてくる人もいますね。
 選手の皆さん気持ちよく来てくださいますし、この仕事はやっていると本当にすがすがしい気持ちになります。スタッフのメンバーも楽しそうに帰っていきます。

選手とスタッフ

山本:審判さんのケアも重要ですね。審判って大変だと思うんですよ。ちゃんとやって当たり前と思われるし…。

真田:今年揉めたシーンありましたよね。

山本:そうそう。上に行けば行くほどフラストレーションが溜まるお仕事だと思います。

古井:昔はこういう専門の人はいなくて、丸ビルクラブの頃は前の試合のチームにお願いした時もあるんですよ。そういう時はミスジャッジで相当揉めて、1回没収試合になったこともあるみたいです。

真田:審判の皆さん、ご高齢な方が多いですもんね。

山本:選手は1試合ですけど、審判の皆さんは2試合3試合やることもある。審判さんも受付に来て、「あの試合どうなってるか」って興味持っていただいています。本当に感謝ですね。加えてグラウンドのスタッフの皆さんも、雨が降ったら土を入れていただいて。

真田:第76回大会でしたね。直前に雨が降って開催できるかどうか分からない日があったんですけど、神宮の皆さんが朝6時頃から整備していただいて。そのおかげで去年も今年も一度も中止にならなかったです。

山本:できるだけ順延したくないので、極力開催する方向で皆さんにご協力いただいています。

審判の皆さん

福士:優勝チームって結構入れ替わるんですか?それとも甲子園みたいに強豪がいて、よく名前を聞くところしか優勝できないみたいな感じですか?

古井:それぞれの会社で転勤があったり、メンバー揃えるのが大変みたいだから優勝するって結構難しいみたいですね。

山本:いいピッチャー1人来たら急に強くなるとかはありますね。ピッチャーとキャッチャーがいれば基本的には勝てるっていうところもあったり。

古井:その人が急に転勤になったりするとすぐに弱くなる(笑)。

福士:そういう裏話も聞かないと分からないですねー。

スタッフの皆さん

山本さんと古井さん

山本さんと選手

 丸の内軟式野球大会の歴史を振り返り、大盛り上がりとなったトーク。後編に続きます!

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