まもなく姿を消してしまう! 歴史的建造物の一部「イオニア式列柱の柱頭」のみが残る「三菱UFJ銀行本店」は現在のビルも解体間近!
2024年08月16日 12時00分更新
高層ビルや歴史的建造物など、丸の内の建築群を現場のレポートを交えながら紹介する連載「丸の内建築ツアー」。第8回となる今回は、前回の「東京銀行協会ビル」と同じく、すでに解体されており、「イオニア式列柱の柱頭」のみが残されている「三菱UFJ銀行本店」を紹介していきます。
丸の内に本店を置いた三菱銀行
大正時代の1919年8月に三菱銀行が発足し、その前身であった第百十九国立銀行が丸の内の「三菱東9号館(三菱旧1号館)」に本店を置いていましたが、三菱銀行が発足する数年前の1916年5月に現在の場所にて着工、1922年3月31日に2代目の本店が竣工しました。2代目の本店は三菱合資会社地所部の桜井小太郎による設計で、地下室付地上4階、延床面積9,672.73㎡のビルとなりました。それまでの一丁倫敦時代の赤煉瓦建築とは異なり、鉄骨鉄筋コンクリート造による重厚感ある古典主義様式の外観デザイン、いわゆる「銀行建築」と呼ばれる意匠が特徴となっていました。
そして業容拡大により、新館も建設されることとなり、1934年7月に着工、1937年3月31日に地上5階、地下1階、延床面積13,715.607㎡の新館が竣工しました。新館は近世復興式の建築様式で、外観は花崗岩張り、正面玄関には8本の大円柱の列柱が並び、壮麗な銀行建築でした。
戦後の高度経済成長により超高層ビル化した三菱UFJ銀行本店
その後、高度経済成長により急激に業務が拡大していき、建物の老朽化も始まっていた2代目本店の建て替え計画が1972年7月に浮上します。建て替えられる新本店ビルは、当初、1977年度竣工予定でしたが、狂乱物価と呼ばれる異常な物価高騰での建築投資規制に伴って、着工が延期。1973年に発生した第1次石油危機による不況となったことで、物価が下がり、積極的な設備投資が行える状況となったため、三菱銀行の創業100周年となる1980年までに新本店ビルを建設することになりました。
1977年11月に着工、1980年7月14日に現在、建っている地上24階、地下5階、高さ110.65mの「高層棟」と地上5階、地下3階の「低層棟」から構成される「三菱UFJ銀行本店」が竣工します。
西側に建つ低層棟には本店営業部が入り、高層棟にはオフィスが入る、接客と事務の部門が棟によって明確に分離された設計がなされました。また、外観デザインは、2代目本店ビルの意匠を継承したものとされており、高層棟・低層棟ともに稲田石を活用したものとなっています。
今も残るのはイオニア式列柱の柱頭
歴史的建造物であった2代目本店ビルの記憶を保存するために、旧本館役員会議室と喫煙室が高層棟24階に復元されたほか、敷地内の植栽部分にイオニア式列柱の柱頭、正面玄関にはブロンズレリーフ扉が残されています。
実は現在の三菱UFJ銀行本店ビルも解体間近!建て替え後はどうなる?
1980年に超高層ビルとなった三菱UFJ銀行本店ですが、すでに竣工から40年以上が経過したため、建て替え計画が進められています。2024年7月までに本店が丸の内エリアのほかのビルへ仮移転し、現在は解体を待っている状態です。
2029年竣工予定の建て替え後は「MUFG 本館」となり、地上28階、地下4階、高さ約160mの超高層ビルとなります。外観デザインは、現在の建物と同系色の石材などを用いた縦基調となるほか、低層部分には吹き抜け空間が設けられた屋内広場、27・28階には屋上テラスが設置され、ガラス面が多い現代的な超高層ビルに生まれ変わります。また、地下にも飲食や物販などの店舗が設けられる予定とされており、現在は一般人が地下通路からビル内へ入ることができない状態となっていますが、建て替え後は地下通路と接続、丸の内ダンジョンが拡大するものと思われます。
文/きりぼうくん
超高層ビル、タワーマンション、駅ビル、地下街、再開発ネタを発信する「超高層ビル・都市開発研究所」の運営をしているブロガー。デベロッパー、ゼネコンのニュースリリース、さらには内閣府や都道府県など行政機関が出す情報を得て、現地を実際に巡るスタイルで取材。記事は9年間ほぼ毎日更新。Twitterでもアツく情報を投稿し、フォロワーは約3.6万人に及ぶ筋金入りの都市開発マニア。
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