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新ビルの完成は5年後

帝国劇場はどうなる? 相次ぎ閉館する「帝劇ビル」「国際ビル」に残る意匠を訪ねて

2025年02月28日 13時30分更新

南西側から見た国際ビル・帝劇ビルの様子

 高層ビルや歴史的建造物など、丸の内の建築群を現場のレポートを交えながら紹介する連載「丸の内建築ツアー」。今回は、2代目帝国劇場が入り、まもなく建て替えにより解体されてしまう「国際ビル・帝劇ビル」を紹介します。

帝国劇場の誕生

 一丁倫敦(いっちょうロンドン)が形成され、仲通り沿いにもオフィスビル群が出来上がり、近くでは東京駅の建設も進む1911年、日比谷濠に面した三菱地所が所有する敷地に東宝によって初代「帝国劇場」が建設されます。1911年3月1日開場の初代帝国劇場は、横河民輔設計によるルネサンス建築様式の地上4階建ての西洋式演劇劇場で、外観は備前伊部の装飾レンガを用いた白色を基調としたファサードに、屋上には能楽『翁』の彫刻像を施したものとなっていました。設計した横河民輔は、濃尾地震をきっかけとして耐震・耐火に関心があり、それらの面で鉄骨構造を重視、日本で鉄骨建築を先駆けて導入していたこともあって、初代帝国劇場は外観からは想像がつきませんが、鉄骨造で建設されています。日本国内では、鉄骨が不足していたため、英国からも輸入しているほか、耐火面では消火栓や防火壁、避雷針なども導入していました。

 そうして建設された初代帝国劇場は、1912年には帝国劇場歌劇部のオペラを指導したジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーが創成期にあった日本のオペラ・バレエの指導に尽力、『蝶々夫人』『魔笛』などが上演され、更にほかの俳優により歌舞伎やシェイクスピア劇などが上演され、「今日は帝劇、明日は三越」という宣伝文句が流行語にもなりました。また、日本の劇場経営の近代化にも力を入れており、上演10日前からチケットが売り出されるチケットシステムの導入や、客席内の飲食・喫煙禁止の代わりに場内に食堂や休憩室を配置するなど、当時の最先端の経営手法が反映されていました。特に2階の食堂は、天井が高く、ラウンジやパーティー会場としても用いられました。客席は、約1,700席あり、1~2階が椅子、3~4階はベンチとなっており、壁面は金色に統一、天井にはドーム型シャンデリアが吊り下げられ、羽衣を羽織った天女が昇天する天井画も描かれた華やかな内装となっていました。

 そんな繁栄の絶頂にあった帝国劇場を1923年9月1日に関東大震災が襲います。

 鉄骨造で建てられた最先端の帝国劇場は、関東大震災の揺れでは倒壊しませんでしたが、警視庁方面からの大火が直撃し、焼失してしまいます。その後、横河民輔によってすぐに改修され、翌年の1924年には再開しています。しかし、太平洋戦争がはじまり、1940年9月には内閣情報部の庁舎として利用されることになり、帝国劇場は閉鎖。戦後は、戦災も受けていなかったこともあり、1945年10月というかなり早い段階で公演「銀座復興」が開催されています。

一丁倫敦が形成された日本屈指のビジネスセンターに計画された帝国劇場は、日比谷濠に面した場所に設けられた

初代帝国劇場の屋上に設置されていた「能楽『翁』の彫刻像」は、帝劇ビルのエントランス外部に飾られていた

2代目帝国劇場として建設された「国際ビル・帝劇ビル」

 終戦後の1930年に帝国劇場は映画館として転用、そして1955年にも再度映画館として転用されてしまいます。高度経済成長期に突入し、日比谷通りと丸の内仲通りに挟まれた同一街区内には、日本俱楽部と三菱仲3号館があり、三菱地所によって帝国劇場を含めた共同ビルへの建て替え計画の検討が進められていました。1960年には、三菱地所側から東宝側へ打診、構想が具体化し始め、1963年~1964年には敷地内の所有権や敷地譲渡などの合意なされ、1964年3月に旧帝国劇場の解体に着手されます。そして1964年4月10日に地鎮祭が行われて着工、1965年には名称が「国際ビルヂング」に決定し、1966年9月13日には遂に竣工します。

 帝国劇場の入る「帝劇ビル」は区画の南西側、国際ビルは区画の北西側から北東側、南東側にかけてL字形状で建てられており、設計はそれぞれ国際ビルが三菱地所、帝国劇場を阿部事務所、外観と劇場内装を谷口吉郎となっています。構造面では、共同ビルとして建設されたことや構造や外観デザインも統一されていることから、国際ビルと帝劇ビルの境目は外からはわかりません。なお、柱や梁などの構造はそのまま接続されているようですが、地下では床の高さが異なっていたり、境目に防火扉が設置されていたり、平面図を確認すると壁で分断されていたりと、異なるビルであることがわかる点もいくつか存在しています。

 「国際ビル」は、三菱地所と日本俱楽部が所有しており、規模は地上9階、地下6階、塔屋3階、延床面積76,918.25㎡、「帝劇ビル」は、東宝と出光美術館が所有しており、規模が地上9階、地下6階、塔屋3階、延床面積39,419.80㎡となっています。

 断面構成・フロア構成は、「帝劇ビル」側の地下6階~地下5階にはピットや空調機室、変圧機室などのほか、迫り舞台機械室などの劇場関係の機械室があり、地下4階~地下3階に駐車場、地下2階~地下1階にレストランやショップ、地上1階に帝国劇場のロビー、1階~3階に帝国劇場の客席や舞台、4階~8階にオフィス、9階に出光美術館が入っています。また、「国際ビル」側の地下6階~地下5階に倉庫や変電施設、地下4階~地下3階に駐車場、地下2階~地上1階にレストランやショップの入る「クニギワ」、2階~9階にオフィスとなっています。

 外観デザインは、赤茶色のタイルと窓ガラスを銀色の横と縦の小割格子の連続と、黒の大割格子が印象的なものとなっており、内観はいたるところにモザイクタイルやガラスブロックのようなステンドグラスがあるほか、メインエントランスは吹き抜け空間で開放的ですが、ガラスやタイルの印象からレトロな雰囲気となっています。

北西側、日比谷濠側から見た国際ビル・帝劇ビルの様子。大きな塔屋が目立つ

赤茶色のタイルと窓ガラスを銀色の横と縦の小割格子の連続と、黒の大割格子が印象的

国際ビルの正式名称は「国際ビルヂング」

南東側から見た国際ビル・帝劇ビルの様子

国際ビルのエントランス。丸の内仲通りに面した側がメインエントランスのようだ

吹き抜け空間が開放的なエントランスホール

建物の意匠を拓取りした国際ビル拓取りプロジェクト「開拓」の展示

エントランスには、カラフルなステンドグラスがあった

国際ビルの読み方は「こくさいビル」だが、商業施設名は「くにぎわ」で、写真の床にあるモザイクロゴが特徴

国際ビルの階段部分の様子。壁が黄金に輝いており、不思議な世界観が漂う

サブエントランスの様子。天井の丸い照明が不思議な空間を創り出していた

壁面にはカーブを描いたモザイク壁画もあった

昭和のオフィスビル感満載のエレベーターホール

地下1階~地下2階にはレストランやショップなどが入る「帝劇地下街」、「KUNIGIWA」が入る。国際ビル・帝劇ビルの間は、高低差があり、このように階段がある

 帝国劇場部分は、客席数が1階に1,138席、2階に688席の計1,826人収容となっており、エントランス前には扇子と翁の面を組み合わせた定紋が展示されています。また、迫り舞台は、直径16.4m、高さ22mという巨大なもので、4つの迫りが設けられており、奈落や機械室を含めると、なんと地上1階から地下6階まで貫いて設置されています。

昭和レトロな雰囲気が漂う帝国劇場のエントランス

帝劇ビルのエントランス。「能楽『翁』の彫刻像」はここにある

帝国劇場のフロア構成。地上2階の観客席から、地下4階の駐車場まで記載がある

地下3階~地下4階の駐車場も国際ビル・帝劇ビルの間に高低差があった

帝国劇場の地下には、迫り舞台の機械室や奈落といった地下深い施設が必要になるため、隣接する国際ビルも実は地下6階まである。駐車場から地下に入ると、延々と続く地下通路と無塗装の階段があり、更に下へ降りることができた

地下6階に到達。無塗装のコンクリートの床壁で覆われた無機質な空間がどこか異世界のようだ

地下の通路。コンクリート壁で覆われた配管むき出しの通路が延々と続いており、通路に沿って倉庫が設けられている

建て替え計画「(仮称)丸の内3-1プロジェクト」

 竣工から58年が経過した2024年12月に、国際ビル・帝劇ビルの建て替え計画の詳細が公表されました。建て替え後は、小堀哲夫による設計の地上29階、地下4階、高さ約155mの超高層ビルとして生まれ変わる予定で、今ある帝国劇場は2025年2月に休館、その後解体され、2025年度に着工、新たなビルは2030年度に竣工します。

 新たなビルのフロア構成は、地下4階に地域冷暖房のDHCサブプラント、地下3階~地下2階に駐車場、地下1階~地上2階に商業施設、地下1階~地上3階に劇場「帝国劇場」、5階に美術館「出光美術館」、6階~29階にオフィスとなります。

 新たな帝国劇場では、配置を現在のものから90度回転させ、正面性をもったエントランス、ホワイエ、客席、舞台といった連続性のある配置となるとのことです。また、客席は現在と同規模となりますが、舞台には最先端の舞台技術の導入や楽屋・スタッフスペースも快適性を上げたものとなり、更にはロビー・ホワイエ空間にはカフェやバーなども併設される予定とされています。

レトロな雰囲気の最寄り駅案内板

階段も壁面がタイル張りで間接照明があったりとどこか懐かしい感じの雰囲気

こちらは帝国劇場の階段。帝国劇場が開場する際のみ、地下街から眺めることができる

階段には、お洒落で繊細な装飾が施されていた

地上から地下へ至る階段と地下3階~地下4階の駐車場部分の階段はらせん階段となっている。今ではあまり見かけないらせん階段も、この頃は洗練された未来的なデザインであったようだ

国際ビルの日比谷濠側エントランス。車寄せがあり、落ち着いた雰囲気が昭和のオフィスビルといった感じだ

日比谷濠と国際ビル・帝劇ビル。今は超高層ビルがここだけ無く、凹んでいる景観となっているが、超高層ビル建設により統一感ある景観に生まれ変わる

 以上で今回の建築ツアーは終了。工事終了後の2030年に、実際の姿を見せてくれる日が楽しみです。そのときはまた改めてビルを訪れて、建て替え前との違いを体感したいと思います。

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