エリアLOVEWalker総編集長・玉置泰紀のアート散歩 第34回
ゴッホの絵ってどこがすごかったの? そもそもどんな人生だったの? それを感じたければ、ポーラ美術館に行けばいい
2025年06月09日 17時00分更新
現代を生きるわたしたちにとって
「ゴッホ」がいかなる価値を持ち得るのか
箱根仙石原のポーラ美術館で、開館以来初となるフィンセント・ファン・ゴッホをテーマとした展覧会「ゴッホ・インパクトー生成する情熱」が5月31日、開幕した(2025年11月30日まで)。
今日にいたるまで変わることのないゴッホからの影響を糧としながら、芸術家たちはそれぞれの時代にふさわしい新たな情熱を、どのように生成してきたのだろうか。
この展覧会では、このような歴史を振り返るとともに、現代を生きるわたしたちにとって「ゴッホ」がいかなる価値を持ち得るのかを検証する。
筆者はアムステルダムのゴッホ美術館に観に行くなど、ゴッホは大きく影響を受けた画家の1人。6月2日に出展者を招いたプレス向けの内覧会があり、“ゴッホ・インパクト”を体験するためにポーラ美術館を訪れた。
ポーラ美術館は、ゴッホによる3点の油彩画を収蔵している。アルル時代の風景画《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》(1888年)、サン=レミ時代に身近な自然を捉えた《草むら》(1889年)、そしてオーヴェール時代の静物画《アザミの花》(1890年)という、異なる地域で描かれたさまざまな主題が含まれている。
所蔵品を軸に、ほかの美術館や個人の所蔵品、同時代の画家の作品、さらには、ゴッホに大きな影響を受けた日本人画家たち。そして、この展覧会のために、4人の現代アーティストのゴッホにまつわる作品も展示されている。
2025年から2026年にかけては、大きなゴッホの展覧会がいくつか予定されている。クレラー=ミュラー美術館が所蔵するコレクションが神戸・福島・東京を巡る「大ゴッホ展 夜のカフェテラス」や、ファン・ゴッホ美術館の作品を中心に、ファン・ゴッホの作品30点以上に加え、日本初公開となるファン・ゴッホの貴重な手紙4通なども展示する「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」が大阪、東京、名古屋を巡回する。
こうしてゴッホがフィーチャーされる中、「ゴッホ・インパクト―生成する情熱」はゴッホの衝撃(インパクト)が同時代のアートといかに共鳴したかをさまざまな作品で振り返り、日本人に与えた影響を探り、現代アーティストのゴッホに向き合った作品によって今も生き続ける影響を体感する。
野口弘子館長は以下のように、今回の展覧会の意義を語る。
「2025年は『ゴッホ・イヤー』と呼ばれ、今年から来年、再来年にかけて、フィンセント・ファン・ゴッホをテーマにした大規模な展覧会が日本各地で開催されます。その先駆けとして、わたくしどもの「ゴッホ・インパクト―生成する情熱」をスタートできたことに、大きな意義を感じております。
わたくしどもでは特に、ゴッホが芸術や文化、社会に与えた多様な影響に焦点を当てました。ゴッホの作品や生涯が、どのように人々の心を揺さぶり、受け継がれてきたのか。そのインパクトと、現代においても生成し続ける情熱の正体に迫る試みでございます。
また、日本におけるゴッホ受容の歴史を振り返りながら、各時代に浮かび上がるゴッホへの熱狂を検証し、現代を生きる私たちにとってのゴッホの意味や価値を探りたいと考えております。他のゴッホ展をご覧になる前に、あるいは後に、当館の『ゴッホ・インパクト』をご覧いただくことで、ゴッホの影響力や価値について考える機会となれば幸いです。そうした相乗効果を通じて、お一人お一人のゴッホへの理解がさらに深まり、ゴッホのインパクトをより大きく、拡張するきっかけになればと願っております」
【オランダ】
オランダで牧師の父のもとに生まれたゴッホは、伝道師という聖職に就くという夢を諦めたのち、画家の道を志す。
暗い色調で占められたこの時代の作品において際立っているのが、「労働」の主題。敬虔の念を込めて農民たちの姿を描き出した画家であるミレーのように、労働に従事しながら日々の生活を営む農民たちを取り上げたゴッホは、厳しい現実を前にした彼らに対する共感をありのままに表現した。
【パリ】
パリで画商として活躍していた弟であるテオのもとにゴッホがやってきたのは、1886年のこと。この年には最後の印象派展となった第8回展が開催されており、点描技法を駆使したスーラやシニャックの作品が話題を呼んでいた。
芸術の都で印象派や新印象派といった新しい絵画の潮流に身を投じたゴッホは、最新の技法による実験に明け暮れ、色彩にあふれた作品の数々を制作する。画家にひときわ影響を与えた日本の浮世絵に慣れ親しんだのも、この都市においてのことだった。

写真を左上から時計回りに。
歌川広重《冨士三十六景 さがみ川》(1858年/安政5年)、大判錦絵、ポーラ美術館所蔵。《冨士三十六景 東都隅田堤》(1858年/安政5年)、大判錦絵、ポーラ美術館所蔵。《冨士三十六景 東海堂左り不二》(1858年/安政5年)、大判錦絵、ポーラ美術館所蔵。《冨士三十六景 武蔵小金井》(1858年/安政5年)、大判錦絵、ポーラ美術館所蔵。《冨士三十六景 東都両ごく》(1858年/安政5年)、大判錦絵、ポーラ美術館所蔵。《冨士三十六景 東都一石ばし》(1858年/安政5年)、大判錦絵、ポーラ美術館所蔵
【アルル】
1888年、陽光と色彩にあふれる南仏のアルルに到着したゴッホは、自らがユートピアとみなしたこの土地で、精力的に絵画制作に励む。
この地で制作された《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》では、画面の大半を占める空と運河の青に対して橋と土手には部分的に黄色が、土手に生い茂る草や橋上の低木林の緑のなかにはアクセントとして赤が置かれている。ゴッホは、自らの得意とした補色の効果を確かめようとしていたのだ。
「耳切り事件」ののちにゴーガンとの共同生活が破綻すると、ゴッホは失意のなかでアルルを去った。
【サン=レミ】
たび重なる精神の不調から、ゴッホは南仏のサン=レミにあるサン=ポール・ド・モーゾール療養院に入院した。何週間ものあいだこの敷地に留まらなければならなかったゴッホは、いくども発作を起こしながらも、病状が落ち着いた際には療養院の庭での戸外制作に取り組んでいる。
さまざまな諧調の緑を用いて描かれた《草むら》はこの庭で描かれた作品であり、範囲を限定して庭の一角を取り上げることで、色彩の効果や草むらそのものの存在感が高められている。
【オーヴェール=シュル=オワーズ】
1890年にゴッホがオーヴェール=シュル=オワーズに移り住んだのは、精神科医であるガシェによる治療を受けるためだった。
ゴッホが亡くなるおよそ1ヵ月前に制作されたのが《アザミの花》。画面の中心にはあざやかなアザミの丸い花が配されており、ここからアザミの鋸のこぎり歯状の葉や麦の穂が、放射状の広がりを見せている。花瓶には同心円状に、そして背景には縦横に交差するかたちで、ゴッホ特有の細長い筆触が施されており、その描写は活力に満ち溢れている。
ゴッホはオーヴェールの地で、自らの胸にピストルを発砲し、その2日後である7月29日に亡くなった。
【岸田劉生】
日本における西洋美術の受容において決定的な役割を果たしたのが、1910年(明治43年)に創刊された文芸雑誌『白樺』。ルネサンスからポスト印象派まで、さまざまな時代や地域の芸術を紹介したこの雑誌に魅了された画家のひとりが、岸田劉生だった。
色彩の豊かさや筆触の力強さがみなぎる《外套着たる自画像》は、ゴッホの影響を如実に示した作品であり、外光派の影響から脱却した劉生が迎えた新たな境地を示している。
【白樺派のゴッホの受容】
ゴッホの自由な筆触と鮮烈な色彩は、20世紀初頭の表現主義に大きな影響を与え、世界中に広がったが、日本でも、明治末期の「白樺」誌を通じてゴッホが紹介され、大きな反響を呼んだ。
白樺派は、明治末期から大正期(1910年代〜1920年代)に活動した日本の文芸・美術運動で、雑誌『白樺』(1910年創刊)を中心に展開された。武者小路実篤、志賀直哉、柳宗悦らが主導し、個人主義や人間性の尊重、理想主義を掲げ、西洋の近代芸術や思想を紹介した。美術においては、ゴッホ、セザンヌ、ルノワールなどのポスト印象派や近代美術に強い関心を示し、日本の洋画界に大きな影響を与えた。
特に、ゴッホの手紙(弟テオらとの書簡)が翻訳・紹介され、彼の内面的な苦悩や芸術への情熱が共感を呼んだ。これにより、ゴッホは単なる画家ではなく、理想を追い求める「芸術家像」として日本で広く認識されることになった。ゴッホは作品と、彼の人生が一体となって需要されたのだ。
【ゴッホ巡礼】
1920年代、白樺派の影響を受けた美術愛好家や画家たちが、ゴッホの終焉の地であるオーヴェール=シュル=オワーズを訪れる「ゴッホ巡礼」が流行した。ゴッホの作品を所有していた医師ガシェの息子の家を訪れた日本人は200人以上に及び、ゴッホの作品や生涯への熱狂が広がっていった。
【森村泰昌】
歴史上の人物や芸術作品に扮装したセルフ・ポートレートで知られる森村泰昌は、日本におけるゴッホの受容史を考察するうえで、欠くことのできない芸術家。
「最初に教えられる『美術』といえばゴッホ」であったと自らが語るように、1985年(昭和60年)に森村が初めて扮装したのが、耳に包帯を巻いているゴッホの自画像だった。初公開となるポーラ美術館の新収蔵作品を通じて、さまざまな機会に制作された森村によるゴッホにまつわる作品の全貌を明らかにする。
この日のプレス向けの内覧会に出席をした森村氏は以下のように語った。
「私は、1985年に初めてゴッホをテーマにした作品を制作しました。それ以来、これまでに全部で6点、ゴッホにちなんだ作品を作ってきました。
今回の展覧会では、この6点をすべて一堂に展示させていただく機会をいただきました。これまで、ゴッホ関連の作品をまとめて展示するのは初めてのことで、大変うれしく、また光栄に思っております。
この6点の中には、およそ7分間のビデオ映像作品が1点含まれています。私がゴッホになりきって何かを語るという、ちょっとした物語になっています。短いショートムービーですので、ぜひお見逃しなく、ご覧いただければと思います。
最後に少しお話ししたいんですが、今回の『ゴッホ・インパクト』展に参加させていただいて、ゴッホという画家が後世にどのような影響を与えてきたかを改めて考える機会になりました。
この展覧会は、ゴッホの影響を振り返り、継承していく内容だと感じています。ゴッホに限らず、美術史、あるいはもう少し大きく言えば、人間の歴史を考えるとき、過去のものを壊して新しいものが生まれるというよりは、過去のものを何かしらの形で受け継いでいく。その繋がりの中に、歴史というものが浮かび上がってくるのではないか。そんなことを、今回の展覧会を通じて感じました。
過去から現在、そして未来へと続く時間の連鎖、そのチェーンの一つの環に、私の作品もなれたらいいなと思いながら、今回の展覧会に参加させていただきました。ぜひ、ゆっくりとご覧いただき、私自身も改めてじっくり楽しみたいと思います。ありがとうございました」
【福田美蘭】
福田美蘭は、現代における社会問題や世界各国の名作をテーマとして、ときにはユーモアを交えながら、既成概念を打ち破る作品を数多く手掛けてきた。
《冬-供花》は、ゴッホの《薔薇》(1890年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)を翻案した作品。2011年(平成23年)に東京の美術館でゴッホの描いた花の強烈な美しさに心を奪われた福田は、2年前の冬に父親が逝去した際に自宅に届けられた白い花々を思い起こした。
自らが撮影していたそれぞれの花籠の写真に基づいて制作された本作品には、東日本大震災による犠牲者への哀悼の意も込められている。

福田美蘭《ゴッホをもっとゴッホらしくするには》(2002年/平成14年)。絵画:アクリル/パネル、額:カラーコピー・フォームボード/紙、公益財団法人大原芸術財団大原美術館所蔵。
大原美術館が所蔵する、伝フィンセント・ファン・ゴッホ《アルピーユの道》をモチーフに制作した作品で、この絵のゴッホらしくなさに衝撃を受け、この絵をゴッホらしくしたと言う作品
【桑久保徹】
自らのなかに架空の画家を設定し、「その画家に描かせる」という方法で絵画制作をはじめた桑久保徹は、ゴッホのような油絵具による厚塗りの技法を得意としている。
《フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホのスタジオ》は、美術史における巨匠を取り上げて、想像上のアトリエを描き出した〈カレンダーシリーズ〉のなかのひとつ。傑作として知られるゴッホの作品やこの画家にゆかりのある事物が河畔に取り集められている本作品は、星月夜を描いたゴッホの絵画を彷彿とさせる。
【展覧会グッズ】
ゴッホカラーを活かしたグッズは楽しいものがそろっている。■展覧会概要
会期:2025年5月31日〜11月30日。会期中無休
会場:ポーラ美術館 展示室1、2、3
開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
入館料:大人2200円/大学・高校生1700円/中学生以下 無料
※障害者手帳を持っている本人及び付添者(1名まで)1100円
公式サイト:https://www.polamuseum.or.jp/sp/vangogh2025/
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