エリアLOVEWalker総編集長・玉置泰紀のアート散歩 第29回
福島の海の見える丘に《時の海₋東北》美術館(仮称)を作ろうとしている現場に行ってきた
2025年02月13日 11時30分更新
現代美術家・宮島達男が東日本大震災の犠牲者の鎮魂と震災の記憶の継承、そして、これからの東北の未来を共につくることを願い、東北に生きる人々、東北に想いを寄せる人々と協働しつくりあげるアートプロジェクト「時の海 – 東北」で、宮島の作品《Sea of Time- TOHOKU》を恒久設置するための新しい美術館「《時の海―東北》美術館(仮称)」を福島県富岡町に建設する計画が進んでおり、筆者も2025年2月7日、建設予定地や地元の人たちの活動を実際に体感するプレスツアーに参加した。
「時の海 – 東北」プロジェクトは、東日本大震災をきっかけにアーティストである宮島達男が、震災の犠牲者の鎮魂と震災の記憶の継承、そして、これからの東北の未来を東北に生きる人々、東北に想いを寄せる人々と協働しつくるアートプロジェクト。2015年に構想をスタートし、3000名近くの人々との対話を重ねながら、作品を生み出してきた。
「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」というコンセプトに基づき、生命の永遠性を象徴するLEDの数字カウンターを用いて、生と死、命について表現し続ける。宮島達男は、本プロジェクトにおいて、3000名の人々と関わりながら作品制作に取り組んでいる。
2015年に「時の海 – 東北」の作品構想を発表し、東北沿岸部を中心に全国各地でタイム設定ワークショップを開きながら、人々の想いを受け取ってきた。そうしたさまざまな人の想いが詰まった作品を、東北の海が見える場所に恒久設置できるよう準備を進めている。
《時の海―東北》美術館(仮称)は、「震災の記憶を風化させず、未来に向け新たな価値を生み出したい」と、参加型作品「時の海」を東北の地に恒久設置する構想からスタートした。3年かけて、設置場所を東北沿岸部各地で探したところ、福島県富岡町で「海が見える広大な土地」を見つけた。場所を求めて東北の太平洋沿岸を巡るなかで偶然、富岡町の役場の人との縁から建設予定地に出会ったという。この場所に着いた時、「ここだ」と皆、直感したという。震災前から繋がりのあった地元関係者との縁もあり、ここに美術館を建設して作品を恒久的に展示する計画が決定した。
富岡町は福島県浜通りにあり、福島第一原発と第二原発の中間に位置し、双葉郡に属する。2011年(平成23年)に発生した東日本大震災により町内では震度6強を観測し、富岡駅周辺などが津波の被害を受けた。さらに、福島第一原子力発電所事故の影響で避難を余儀なくされ、北東部は現在においても帰還困難区域に指定され、立ち入りが制限されている。現在の居住人口は2565人(住民登録人口数は1万1338人。いずれも2024年12月1日時点)。もともと住んでいて戻ってきた人は、居住者の半数ぐらいだという。
今は、特定復興再生拠点区域に指定され、同区域内では除染やインフラ整備が進められている。津波被害や放射能除染作業で一度は更地になった地区にも、現在はワイナリーやアートセンターが立ち、スマート農業を活用した地域再生も進行中だ。
原発事故による複合災害・避難の歴史がある場所だが、宮島らはこのプロジェクトを通じて、現地で暮らす人々、避難から戻ってきた人たちや、新たに外部からやってきた人たちとの対話の中で「ゼロから未来を創る」可能性を感じ、災害をもたらしたものだが、多くの恵みをもたらし、この地域の欠かせないものである「海が見える」場所建設予定地とした。面積は約3万6744平方メートル(サッカーコート約5面分ほど)で、JR富岡駅から約1.7km、車で5分というアクセスの場所だ。
本プロジェクトは、約3000名の参加者(震災被災地を中心に全国・世界から募る)によるLEDの数字設定「タイムセッティング」を集め、水盤上に光の作品をつくる計画で、震災後「忘れられていく」ことへの危機感もあり、アートを通して記憶や想いを共有し、次世代へ繋げたいというのがコンセプト。
「時の海 – 東北」の3000個の数字のLEDは、一つひとつが異なる速さでカウントしている。 9、8、7、6 …と数字が切り替わるタイミングの時間を、参加者の希望する秒数(0.2秒〜120.0秒まで)に設定し、その秒数に込めた想いを傾聴する「タイム設定」ワークショップなどを通じて、現在までに2744名(2025年1月31日)が参加している。
宮島は、「『時の海 – 東北』プロジェクトは、東日本大震災という自然の脅威に対し、何一つ抗えなかった自分へのアーテイストとしての落とし前」だと語る。1998年よりベネッセアートサイト直島で公開されている《Sea of Time ’98》と比較して、参加者数や作品のサイズ、制作動機も大幅に異なり、宮島の過去最大規模となる《Sea of Time – TOHOKU》は、構想当初より東北の地に恒久設置することを決めていた(参考:直島《Sea of Time ’98》のガジェット数=125個) 。
美術館建設を進めるにあたり、プロジェクトチームに建築家・田根剛と、グラフィックデザイナー・長嶋りかこを迎えた。場所の記憶から建築をつくる「Archaeology of the Future」をコンセプトに掲げる田根剛の建築と、宮島と長年の交流があり、コンセプトや思想の仲介となって視覚情報へと翻訳することを得意とする長嶋りかこのデザインが、美術館の体験をより深く、訪れる人の記憶に残るものとなることを目指す。
また、「時の海 – 東北」プロジェクトに賛同する地域の方々によって発足した「《時の海 – 東北》美術館を応援する会」、そしてこれまで数々のアートプロジェクトを牽引してきたプロジェクトディレクターの嘉原妙氏を加えて、チームは構成されている。
▼田根剛氏のコメント
「2011年5月、東日本大震災による未曾有の災害の姿を目の当たりにし、その後も何度も足を運びながら、何もできなかった想いを抱え続けてきました。昨年、避難指示解除となった富岡町にはじめて訪れた際、小学校でこどもたちが声をあげて元気に走り回る姿を目にし、彼ら彼女らがこれから生きていく未来を、いまを生きる大人がつくっていく勇気が必要だと強く心が動かされました。富岡のみなさんと共に、未来の場所を考えていく、それが「時の海 – 東北」プロジェクトだと思っています」
▼長嶋りかこ氏のコメント
「沢山の矛盾が詰まった問題を目の前にして、考えても考えても答えが出ず、多分きっとずっと答えは出ないのだろうと思っています。けれどその答えのなさと葛藤をそのまま提示することは、震災が起きたあの日から今もなお少しづつ形を変えながらも問題は存在していること、それすら忘却されていくかのような日々の刹那に対し、か細く仄かであっても小さな警告灯のように光る灯のようなものになるのかなと思っています」
▼宮島達男氏の語るコンセプト
「この作品は、「あの時」に逢いにいくための作品となってほしいという想いが込められています。「あの時」とは、2011年3月11日です。あの日、私達の価値観・世界観は大きくゆらぎました。
亡くなられた方々への追悼の念、そして被害に遭われた人々へのお見舞いの気持ちは当然ですが、直接被害に遭わなかった人々にもさまざまな思いが去来しました。
「あの時」、感じた、絶望、無力感、虚しさ、怒り、自然への畏怖。
「あの時」、味わった、人の優しさ、絆、繋がり。
「あの時」、信じた、友情、希望、人の心、その強さ、
「あの時」、誓った、反省、決意、そして約束。
でも、「あの時」は少しずつ忘れられていく。
だから、この作品を通して、「あの時」、「あの人」に逢いにいく。
「あの時」の「私の心」に逢いにいく。
「あの時」の「誰かの想い」に逢いにいく。
そんな場所にしたいと考えています。
大切な誰かと再会するために。あの頃の想いに再会するために。
「時の海 – 東北」では、そんな作品を作り上げるため、被害を受けた方々に寄り添い、共感してくれる多くの方々と一緒に、作品作りを進めていけたらと思っています」
■施設概要
名称 :《時の海 – 東北》美術館(仮称)
所在地 :福島県双葉郡富岡町
土地面積:3万6744平方メートル(予定)
設計 :ATTA – Atelier Tsuyoshi Tane Architects
竣工 :2027年(予定)
公式サイト:https://seaoftime.org/
福島の特定復興再生拠点区域では様々な夢を持った人たちが新しい活動を始めていた
2月7日のプレスツアーでは、《時の海 - 東北》美術館(仮称)建設予定地のほかにも、「大熊インキュベーションセンター」や「とみおかドメーヌワイナリー」「トータルサポートセンターとみおか」などの施設や、夜ノ森公園の桜並木なども、地元の人にガイドしてもらい、見て回った。
夜ノ森公園の桜並木
国道6号から夜ノ森公園に続く道に、樹齢約100年のソメイヨシノが並び、約2.2kmの道に約420本の桜が並ぶ。2016年4月以降は放射線量の低い300mの区間の立ち入りが可能となり、2022年1月26日に特定復興再生拠点区域となったため、全域での立ち入りができるようになった。映画「Fukushima50」の終盤で登場し、復興の可能性を感じさせる印象的なシーンになった。当日は、元富岡町役場の職員で、今は、個人事業主として作家の支援や演劇などを行う秋元菜々美さんに案内してもらった。
相双地方魅力発信ポータルサイト「SOUSOU相双」:https://sou-sou-fukushima.jp/spot/319
とみおかドメーヌワイナリー
地元産の食材との調和(マリアージュ)と、何度でも訪れたくなる豊かな自然風土の環境形成(テロワール)の両立を目指す。富岡ワイン葡萄栽培の活動は、県内に避難する町民有志10名で2016年3月より試験的に始め、今では40名を超える会員を有するほどに葡萄と共に成長している。
2011年3月11日に起きた東日本大震災と原発事故を契機に、復興へ取り組む福島県浜通り・富岡町の明るい未来を切り開く一つのカギとなるよう、ワインを核とした新たなまちづくりと、新しい農業への取り組みを行っている。
最初は、300本程度のブドウ栽培からスタート。初期は、この地がブドウ栽培に適しているのかすら不明な状況だったが、3年目には収穫に成功し、山梨県のワイナリーが受け入れるなど実績を積んできた。
2020年には富岡駅東側に約0.2haの新規圃場を開設し、アルバリーニョ(白)を中心に約400本の苗木を植え付けた。今後、駅前圃場を拡張し、ここを中心に本格事業を展開する予定だ。ブドウ畑は現時点で約4万8000平方メートルだが、将来的には6万5000平方メートルを目指す。ワイナリー建設も進行中で、4月にはプレオープンし、そして一般販売を開始する。
プロジェクトは単なる産業振興に留まらず、震災で失われたコミュニティの再構築も狙いとしており、現在は約2500人の「関係交流人口」を築いている。将来的にはそれが移住・定住へとつながり、町全体が復興していくことを期待している。
作り出していくワインは、富岡町の自然環境や海からの塩風がブドウに与える独特の風味や、地元の食材と調和したワイン作りを考えている。そして、今回の美術館建設といったアートとの融合など、多角的な取り組みを進めていく。
公式サイト:https://tomioka-wine.com/
大熊インキュベーションセンター
大熊町は2022年4月に、新たな産業づくりや起業家を育てる環境を整備し、大熊町ならではの産業を長期にわたり生み出し続けるインキュベーション施設として旧:大野小学校を再生した。研究・開発の場として、あるいは将来的な事業化と町内への事業所・工場立地に向けたステップアップを目指して、様々な事業者が入居している。
施設の一部は入居企業だけでなく、町民をはじめ多くの人が利用できる。人が集まり、あたりまえだった風景を、ひとつひとつ、取り戻して行く。町民の人も、新たに生まれ変わった故郷を見て、足を運ぶ機会になって欲しいという想いがある。大熊の中心部が新たな一歩を踏み出すのに東日本大震災から11年かかった。
公式サイト:https://okuma-ic.jp/
トータルサポートセンターとみおか
「トータルサポートセンターとみおか」は多くの人々が集い憩いの場となる、人と人、人と地域をつなぎ福祉・介護・交流を提供することを目的とした施設で、様々な人を迎えるため多目的なワークショップルームや会議室を備えている。
また、健康増進を目的とし、子どもから高齢者まで幅広く運動ができるフィットネスジム「メディカルフィットネスRe-Birth(リ・バース)」や「和みの日常空間から始まる地域づくり」をテーマに、訪れる人の憩いの場となる「Re-Birth cafe(リ・バース カフェ)」がコラボレーションしている。
公式サイト:https://www.koubikai.jp/tomioka/
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