love walker ロゴ

  • Xアイコン

数世代に渡って利用した人も多いのでは?

バブル期に誕生し令和に止まった回転レストラン、戦後・闇市横丁の名残を残す地下街、歴史が層を織りなす建物「交通会館」

2025年03月28日 12時00分更新

ハット(帽子)を被ったような外観が特徴的な東京交通会館

 高層ビルや歴史的建造物など、丸の内の建築群を現場のレポートを交えながら紹介する連載「丸の内建築ツアー」。今回は、有楽町駅前に建ち、まるでハットのような見た目の回転レストランもあった「東京交通会館」を紹介します。

東京都交通局とすし屋横丁の再開発計画

 戦前、東京都交通局の元になる東京市電気局の前身、東京鉄道の車庫があった有楽町駅前のこの地に東京市電気局の本局庁舎がありました。しかし太平洋戦争の空襲により全焼、戦後は焼け野原に闇市が形成され、バラックや露店が軒を連ねます。終戦から2年が経過した1947年に戦災復興計画が決定、1948年には有楽町駅側の線路沿いに露店を一旦整理、集約して約100店舗からなる木造の商店が建ち並ぶ「すし屋横丁」が誕生し、1949年にバラックや露店が撤去された東側一帯に応急的に東京都交通局の本局庁舎が建設されました。1950年代に入ると、有楽町エリアは徐々にビジネス街として発展していたこともあり、すし屋横丁は賑わいを見せていましたが、有楽町駅前という立地での美観や防災といった観点から、再開発構想が浮上します。また、同時期に交通局の本局庁舎も木造の応急的な庁舎であったことから、老朽化が進んでおり、改築する必要性がありましたが、約100店舗規模で露店が並んでいたすし屋横丁の立ち退きなどの問題からなかなか着手できない状態が続いていました。

 そんな中、1960年に東海道新幹線の東京駅乗り入れに伴う高架の建設が決定します。更に1962年に都市計画変更を実施し、すし屋横丁が広がる西側エリアは道路用地に。東側は当初、A、Bの2地区で市街地再開発事業は行われることとなります。現在、「東京交通会館」が建っている場所がA地区、「有楽町イトシア」がB地区(B地区の北側)、そして「有楽町マリオン」が建っている場所がC地区(B地区の南側)。C地区は当初B地区の南側で先行して開発されることになった地区で、有楽町駅の東側一帯すべてを再開発する計画となっていました。うち、A地区が最も早く動き出し、東京都でも有楽町駅前の公共施設を整備する計画があったことから、駅前広場を設置し、再開発ビルの地下に駐車場を設けるといった流れになります。1963年2月には、東側の局舎を所有していた東京都交通局と西側のすし屋横丁の土地を所有していた三菱地所が共同でビルを建設することに同意し、計画が動き出しました。

有楽町駅東口の再開発事業により、A地区に「東京交通会館」が先行して建設され、B地区は2000年代に入りようやく再開発され、「有楽町イトシア」が建設された。元々は戦後、同時に計画された再開発だった

毎週土日祝と平日火水に開催される「交通会館マルシェ」は、往年のすし屋横丁での賑わいぶりを感じられる

すし屋横丁があった場所には、道路や広場が整備された

1960年代の国土地理院地図の航空写真。東側の東京交通会館の建設予定地が更地で、西側には高架に沿ってすし屋横丁が広がっていることがわかる(出典:国土地理院撮影の空中写真/1963年撮影)

東京交通会館のロゴ。ハットを被ったような外観がそのままロゴになっている

東京交通会館の建設

 東京交通会館は、1963年9月21日(交通会館HPでは1963年3月)に着工、その間、東京交通会館の建設と並行して駅前広場の整備計画が進められていましたが、すし屋横丁の補償問題から立ち退き交渉が難航し、すし屋横丁の立ち退きが進まないまま、1965年6月に東京交通会館は竣工・開業します。その後、数年の間、最新鋭の複合ビル「東京交通会館」と戦後の闇市から続く木造バラック街「すし屋横丁」が隣り合って建ち並ぶという不思議な光景が有楽町駅前にはあったようです。

 なお、1960年代後半に入ると、すし屋横丁の強制収用が始まり、1968年8月30日には、最後まで立ち退き拒否をしていた「だるま鮨」が強制撤去されました。当時、すし屋横丁に入っていたお店の一部は、東京交通会館に入居し、また、地下には「横っちょ横丁」、「ぶらり横丁」の2つの横丁があり、すし屋横丁の名残が感じられる雰囲気になっていました。

南西側、有楽町駅前から見た東京交通会館の様子

有楽町駅前側の低層基壇部分。曲面を描いて出っ張った外観が特徴的

北西側から見た東京交通会館の様子

北西側から見た東京交通会館の様子

すし屋横丁の名残を感じられる「横っちょ横丁」、「ぶらり横丁」の2つの横丁が東京交通会館の地下にはある

細い路地裏空間の横丁のような空間が心惹かれる

東京交通会館の施設とデザイン

 東京交通会館は、正式名称「東京交通会館ビル」で、鉄骨鉄筋コンクリート造、地上15階、地下4階、延床面積64,486.28㎡(※東京交通会館のオフィスパンフレットより)となっており、フロア構成は、地下4階に事務所、地下3階~地下2階に駐車場、地下1階~地上3階にレストランやショッピング、サービス、4階~11階にオフィス、12階にイベントホール、13階にビアテラス(夏季限定)、14階・15階に展望レストラン「銀座スカイラウンジ」となります。ちなみに2階には、パスポートセンターや外貨両替、3階には屋上庭園の「有楽町コリーヌ」などもあり、有楽町コリーヌからは目の前を通りすぎる新幹線を眺めることもできます。

 15階の展望レストラン「銀座スカイラウンジ」は、東京會舘が運営、開業当時は「回転レストラン」として営業しており、高さ55mから丸の内や八重洲、銀座、有楽町エリアを一望でき、約80分かけて一周できるレストランでした。1960年代は全国各地でホテルやデパートの最上階に回転レストランが設置され、東京交通会館は東京都心でそれが楽しめるものでしたが、周辺に超高層ビルが建ち並び、埋もれてしまったことや、食事が楽しめるくらい滑らかな回転を維持するためにかかるコスト面などから、2020年12月30日で回転を停止、営業も休止してリニューアル工事が始まります。2021年9月1日に再開しますが、今では回転しない展望レストランとなってしまいました。

 外観は、敷地の形状に合わせた低層基壇部分の上に、横連の窓と白い腰壁がぐるりと建物を一周する組み合わせのモダニズム建築のデザインとなっており、同じ丸の内エリアに建つ「新東京ビルヂング」に似ています。東京交通会館では、更にその上にハット(帽子)のようなデザインの回転レストランが乗っかったものとなっており、回転レストランが外観上のアクセントとなっているのが特徴です。

 丸の内エリアの地下ダンジョンの一部にも組み込まれており、地下から地上、3階の屋上庭園「有楽町コリーヌ」へ至る螺旋階段と吹き抜けに吊るされた豪華絢爛なシャンデリアが、高度経済成長期のビルヂングを華やかに飾ります。また、大階段には矢橋六郎作のモザイク壁画「緑の散歩」と「白馬」があり、壁一面が鮮やかに彩られています。

昭和時代に想像した近未来のビルといった印象を受ける、横連の窓と白い腰壁の組み合わせの外観デザインとなっている

少し前まで回転していた展望レストラン「銀座スカイラウンジ」部分。ハットのような形状をしており、東京交通会館が帽子を被っているようにも見える

地下から3階の屋上庭園までを結ぶ螺旋階段がある吹き抜けには、大きなシャンデリアが吊るされている

シャンデリアを螺旋階段が囲む

1~2階の大階段には、矢橋六郎作のモザイク壁画「緑の散歩」がある

2~3階の大階段には矢橋六郎作のモザイク壁画「白馬」がある

近づいてみると、モザイクタイルの組み合わせであることがわかる

オフィスフロアは廊下に面して、昭和感を感じられるドアがある執務室が並ぶ。オフィステナントは、法律事務所や献血ルーム、結婚相談所、英会話スクール、不動産会社、日本福祉大学や神戸大学の事務局など多種多様にわたる

地下1階のエレベーターホールには、「有楽ピアノ」と呼ばれるグランドピアノが置かれてあり、自由に弾くことができる

地下1階の商業フロアの様子。通路にはレトロな照明があり、店舗が並ぶ

地下2階~地下3階は駐車場、地下4階にも事務室が並ぶ

3階には屋上庭園の「有楽町コリーヌ」があり、ベンチや草花がある憩いの場となっている。「彩り」「実り」「薫り」「味わい」のテーマ毎に花のプランニングがされているほか、屋上庭園のウッドデッキからは新幹線も眺めることができる

12階には、「ダイヤモンドホール」や「カトレアサロン」などのイベントホールが入っている

15階の展望レストラン「銀座スカイラウンジ」から見た東京駅と丸の内・八重洲の超高層ビル群。今は回転しなくなったため、座席から眺めることのできる景色の方角は運次第

東京駅には通勤電車のほか新幹線など、様々な電車が乗り入れる。写真手前側が大阪・名古屋方面、奥側が東北・北海道方面

銀座スカイラウンジは、円形のガラス張りのレストランで、いつもよりちょっと贅沢な気分を味わいたいときに訪れたい

 以上で今回の建築ツアーは終了。実は東京交通会館は「有楽町駅周辺地区」の再開発エリアに指定されており、2023年6月には東京高速道路、東京交通会館、三菱地所、読売新聞東京本社、東京都によって市街地再開発準備組合も設立されています。また、東京交通会館の目の前にある有楽町駅前の地下広場まで、有楽町駅東口側から地下通路が延伸する計画もあり、この一帯も大きく変わる見込みとなっています。戦後の闇市などの再開発で誕生した「東京交通会館」も再々開発で姿を消す日がそう遠くないかもしれません。

この記事をシェアしよう

丸の内LOVE WALKERの最新情報を購読しよう