りんごスイーツを食べるたび、憧れの真田幸村公に「姫」と呼ばれる幸せを思い出せる【上田市の旅#1ー城下町編】

 つなぐ旅編集部が実際に東日本の市町村を訪れて、「ワクワクする」シーンを体験レポート。今回は長野県上田市の旅の様子をお届けします!

 上田といえば上田城。真田昌幸・幸村父子が、徳川の大軍を二度にわたり打ち破った上田城の城跡公園はロマンにあふれていて、紅葉がとってもきれいでした。(グルメ編はこちらから

東京から1時間20分のコンパクトな城下町

 大宮から北陸新幹線はくたかで1時間足らず。寝るヒマもなく上田に到着です。

この日は最高気温11.6℃と暖かい日でしたが、それでも東京よりは2℃くらい低かった!

新幹線のホームからすぐ外に出られます

駅前に真田幸村公初陣の騎馬像があって、上田に来た実感が湧く!

 上田の魅力はそのコンパクトさではないでしょうか。新幹線を降りて改札を出たらもう目の前はロータリーです。駅前にはビジネスホテルや飲食店が立ち並びます。ホテルのチェックイン前に荷物だけホテルに預けて、すぐに歩いてあちこちに出かけられます。

駅から歩いて行ける範囲に観光地がいっぱい!

 まずは上田の最大の観光スポット「上田城跡公園」へ。東京なら徒歩12分だと若干憂鬱になりますが、山を遠くに眺めながら澄んだ空気のなか歩くのはとても気持ちのいいものです。

上田城跡公園の入り口に到着。人が増えてきました

 公園内にはあちらこちらに上田城の面影を残す建物や城壁跡が残っているほか、真田家ゆかりの資料が展示されている博物館があり、観光に訪れたら一度は立ち寄りたいところ。また、緑の多い園内は、地元の人たちの憩いの場にもなっているようでした。

石垣に圧倒される

上田市立博物館。歴代上田城主の着用具足などが展示されてました

左に見えるのが南櫓(やぐら)、右が北櫓だそうです

東虎口櫓門が見えてきました

 紅葉を眺めつつ公園内をてくてく歩くと、東虎口櫓門に到着! ここから先は本丸と呼ばれる公園の中心部となります。

 上田城は天正11年(1583年)に真田昌幸が築き、攻め寄せた徳川の大軍を二度も退けました。関ヶ原の合戦後に破城され、ほとんどの建物が失われましたが、わずかに残った城跡のうち、1949年(昭和24年)には、明治時代の廃城令で解体されて民間に払い下げられ、市内に移築されていた南・北櫓を元の場所に再移築、1994年に本丸東虎口櫓門が復元されました。現在、上田市は失われた櫓や櫓門などの復元を目指しているそうです。

「おもてなし武将隊」の真田幸村さんがお出迎え

 東虎口櫓門では「信州上田おもてなし武将隊 真田幸村と十勇士」の真田幸村さんと猿飛佐助さんが迎えてくれました。上田城の魅力と城下町をPRするため2012年に結成された、歌って踊れるガイドとのこと。記念写真にも気軽に応じてくれます。

 上田城は2016年に放送されたNHK大河ドラマ『真田丸』の舞台としても有名です。当時、城跡内には“大河ドラマ館”が設置され、103万人という来場者数を記録したそうです。

やぐらには鉄砲や弓で攻撃するための「狭間(さま)」が備えられています

上田城の石垣に使われた巨石・真田石

勝運・必勝祈願、受験にご利益があるという眞田神社。このときはたまたま人がいなくてラッキーでした

ガランガランと聞こえてくる音はなに?

六文銭に手をかざすと音が鳴るギミック!

「不落城」ということで、受験用のお守りも人気だそう

銅像のモデルとなったご本人と

 眞田神社の左奥には、16歳の若き真田幸村公の銅像が建っています。なんとこの銅像のモデルは、「おもてなし武将隊」の真田幸村さんだそうです(本人談)。以前の紅葉まつりのときに撮った真田幸村さんの写真を真似て作られたのだとか。

上田藩主居館に通じていた(抜け道)という伝説のある「真田井戸」

長野県宝に指定されている「西櫓」

西櫓の前からは上田の町が一望できます

 上田についてからよく目にする六文銭のモチーフ。これは真田家の家紋で、三途の川の渡し賃(六文)に由来し、戦場で死んだ後も無事にあの世へ旅立てるようにという願いと決意が込められているそうです。

 「おもてなし武将隊」真田幸村さんのガイドのおかげで上田城跡を堪能できました。ガイド中「姫」と呼ばれるのが気持ちよかったです(笑)。

DATA
上田城跡公園
住所:長野県上田市二の丸6263番地イ
HP:https://ueda-kanko.or.jp/spot/uedajoseki_park/
アクセス:JR上田駅より徒歩で約12分

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