プロフットサルクラブ・立川アスレティックFC代表理事・皆本晃「地域とともに楽しみ、歩んでいけるチームへ」
2026年07月14日 10時00分更新
提供:立川市広報プロモーション課
立川市をホームタウンに活動するプロフットサルクラブ「立川アスレティックFC」。“立川と歩み続ける”強い覚悟を胸に、新たな挑戦を続ける同クラブの代表理事・皆本晃さんに、現役時代の思い出や立川への思いをお聞きしました。
フットサルとの出会い
―――小さいころは、どんな少年でしたか。
典型的なサッカー少年でした。当時、三浦知良さんに憧れて、サッカー選手を目指して毎日友達とサッカーばかりしていました。
ただ、元々運動のセンスがあったというわけではなく、実は基本的に得意なことが1つもなかったんです。やればすぐにできるということが、あまりなかった。例えば逆上がりや縄跳びとかも最初は全然できなくて、悔しいからできるまでずっとやり続けていました。そうやってできるまで続けて、最後には大体のことで誰にも負けないくらいになっていましたね。
―――そのモチベーションはどこからくるんですか。
できるまでやり続ける姿勢は、両親からの言葉の影響が大きいです。いろいろなことができない私を見ても、いつも「あなたはできるから」と励まし続けてくれたからだと思います。「できなかったら、人の3倍やればいい。できるようになりたいならやり続けてみなさい」と言って、見守ってくれました。
その幼少期の体験が大人になってからの自分の姿勢に大きく影響を与えていて、それが人生の軸になっています。子どものころからそういう環境を与えてくれた両親には心から感謝しています。
フットサルの強豪国であるスペインリーグに行ったときも、今代表理事をやっているのもそうです。「チャレンジをし続けたら目標まで必ずたどり着ける」という気持ちです。
―――そんなサッカー少年からフットサルへ転向したきっかけは何だったのでしょうか。
高校まではサッカーをしていましたが、大学でも続けてプロを目指そうかと悩んでいるとき、ちょうどフットサルに出会いました。
高校3年生のとき、フットサル日本代表が初めてワールドカップに出場する直前の壮行試合を友人に誘われて観戦しに行ったんです。その試合を観て、今では考えられないのですが「自分のほうがうまい」と思ったんですね(笑)。「小さいコートのほうが得意だからフットサルなら、日本代表になってワールドカップに出場できるのでは」とそのときなぜか思ったんです。そのタイミングでフットサルに転向することを決めました。
フットサルを始めた当初は「サッカーとフットサルは結局一緒でしょう」と高をくくっていたんですが、いざ始めてみたら全然違うスポーツで、初めは全く歯が立たず何もできない状況でした。展開がサッカーと比べものにならないくらいスピーディで、より繊細なボールタッチの技術などが問われるフットサルの動きに慣れるのには苦労しましたが、「できるまでやり続ける」の精神で必死に頑張って、日本代表に選出されたり、海外リーグでプレーすることができました。
輝かしい実績の陰で経験した挫折
―――全く歯が立たなかった状況から、海外リーグへの挑戦や日本代表のキャプテンなど大活躍されてきました。一番印象に残っていることを教えてください。
波乱万丈の人生で、さまざまな経験をさせていただきましたが、一番の試練だと感じたことは2016FIFAフットサルワールドカップのアジア最終予選直前に、前十字靭帯を断裂する全治8か月の大けがを負ってしまったことです。アジア予選にも敗退してワールドカップの舞台に立つ夢は、次の2021年まで持ち越しとなりました。
―――絶頂から一転、苦しいリハビリ期間に入られた。そのときの心境はいかがでしたか。
正直に言えば、辛かったし、選手生活に影を落とした部分はありました。でも、今振り返ると、あの経験がなければ今の自分はいないと断言できます。あの辛い時期を乗り越えたことで、「自分は絶対に負けない、負けるわけがない」という確固たる自信が芽生えたんです。それと、これがリーダーとして一番大きかったのですが、人の苦しみや痛みをわかってあげられる「強さ」をもらえた。それは、あのけががあったからこそだと思っています。その経験が、選手を引退して運営会社の代表としての役割を果たしていくうえでも本当に役立っています。
府中から立川へ。その経過と思い
―――立川アスレティックFC(以下、「アスレ」)は、元々は府中に本拠地のあるチームでした。本拠地移転にあたってはさまざまな課題や思いがあったのではないでしょうか。
2018年にホームアリーナをアリーナ立川立飛に移し、2022年には運営法人を新たに立ち上げて、今の形になっています。私は一時期スペインリーグのプロチームに所属した以外は、府中時代からずっとこのチームに所属していました。府中では本当にたくさんの方々から応援いただいて、感謝してもしきれないくらいだったので、本拠地移転やチーム名称変更の際は複雑な気持ちがあったことは確かです。ただ一方で、移転先の立川でこの先何があってもやっていくんだという覚悟もあり、クラブのエンブレム、クラブカラーを一新。同時に、私自身も家族の理解・協力を得て立川に家を購入し、この地域に根を下ろすことを決めました。
―――公私共に移転して、立川はいかがですか。
とても心地よく感じています。日常生活ではお店も充実していて買い物などで困ることはないし、大型商業施設もあるので立川市内で大体の用事が済みます。公園など子どもと過ごす場所も充実していて、子育てもしやすいです。チームの代表としては、立川にはいろいろな意味で温かく迎え入れてくれる「土壌」が確かにあると感じています。まちとしてのプライドを大切にしながらも、同時に新しいものを取り込み、一緒になって新しい価値を創っていこうとする、そのバランス感覚が、立川というまちの最大の魅力ではないでしょうか。私自身、立川青年会議所をはじめ地域のさまざまな活動に参加するなかで、多くの情熱的な人々と出会いました。地域の方々と深く関われば関わるほど、このまちのことがますます好きになっていますね。
プロスポーツがまちの文化へ
―――皆本代表理事は常々「プロスポーツはまちづくりに近い」とおっしゃっていますね。その真意を教えてください。
私たちの存在意義は、スポーツ選手として「子どもたちの憧れ」となり、「まちに彩りを届ける存在」であることだと考えています。スポーツチームには、「誰かが夢を持つためのきっかけをつくる力」があると信じています。大きな夢を追いかけ、ときには失敗し、ときには成功をつかみ取る。そして、うまくいかない現状にもがきながら、必死に前を向いて生きる。そんな泥臭くも懸命な姿を見せられるのは、スポーツ選手にこそ果たせる役割ではないでしょうか。
―――これから目指すアスレの姿を教えてください。
スペインリーグでプレーして肌で感じたのは、スポーツチームが「まちの文化」として深く根付いている光景でした。チームを応援することが住民のステータスであり、大きな誇りになっているんです。私たちもいつか「アスレがあるから立川に住みたい」「アスレがあるから週末が楽しみ」、そう言ってもらえるような存在になりたい。試合での活躍はもちろんですが、小学校への訪問指導や地域清掃など、地道な活動も大切にしています。クラブと選手の成長を、地域の皆さんとともに楽しみ、歩んでいけるチームを目指していきたいです。
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